Borneo Indonesia
Sulaiman 20030112
伐採キャンプに滞在/
Stay in Sulaiman Logging Camp
Campへのルートが閉ざれ迂回に挑戦/
The aggressive detour by the route closing to camp
2003年1月12日
朝早くから、出発の準備をして、部屋の掃除をして迎えを待っていたが、いっこうにこない。時間の余裕があるので、あれもこれももっていこうと、待っている間に荷物がどんどん増えていった。もともとたいした荷物は持っていないので、増えてもたいしたことはないが、入れてみるとバックひとつには収めにくい。マレーシアやオーストラリアとニュージーランドへ出かけるときも同じセットのはずだ。今後のためにチェックリストを作ってみた。
リュックに、パスポート、KITAS、ノート、鉛筆、鉛筆削り、消しゴム、地図、パソコン、PC用ACアダプタ、カメラ、カメラ用ACアダプタ、カメラ用替えバッテリー、コンパクトフラッシュ64Mb、PCカードアダプタ、電話線、電話線2方分岐モジュラーアダプタ、電話線接続モジュラーの2方分岐、トランス、100V電源コード、200V電源コード、CDディスク、日英電子辞書、インドネシア英電子辞書
手提げ袋にパンツ、シャツ、Tシャツ、ハンカチ、靴下、歯磨きチューブ、歯ブラシ、石鹸、体洗い用タオル、体拭き用タオル、髭剃り、蚊取り線香、サンダル、薬類
これで全部。日本から来たときはリュックに全部入っていたはずなので、1つにできるはずだが、考えて入れるのも面倒なので、2つに分けた。しかし、手提げバックはもう少し大きい方がよい。空港のセキュリティでも中身がぼろぼろでてきそうなので、チャックつきかもっといいバッグをあとで買おう。
10時になって迎えがきた。いろいろ仕事ができて遅れたとか。まずバリクパパンへ。予定していたパシールのシュンケイ林探しはキャンセルしてこの次に。まずアブ先生の朝ごはん。「まだ食べていなかったの」「食べたけど、警察がうるさいので、少しだけ、足りないよ、先生もどう」「いらない、これ以上太りたくない、コピが欲しい」「わかりました」ところで警察ってなんだ?聞き流していたが、どうも奥様がコントロールしているらしい。せっかくコントロールされていたのに、ここで食べては台無し。「いいの?」「ゆっくりバリクパパンへ向かって走り、今日のホテルに着いたのが2時。
この後はほぼ休日状態。昼寝して、バリクパパンのマタハリを見物して、おやつを食べて、また寝て、飯を食って、また寝た。




2003年1月13日
朝もゆっくり過ごして、バリクパパンの空港までいった。チェックインの時間まで1時間以上もある。チェックインカウンターの前に荷物を置いて待つことにした。係員はいない。「先生、ここで待っていてください」といって、アブ先生はどこかへ行ってしまった。ちっとも帰ってこない。
暇なので、底から見えるパネルを端から見てみた。この時間バリクパパンからはバリ、ジャカルタ、タラカン、ブラオ、シンガポールへ飛ぶようだ。自分の立っているカウンターの上のパネルに目をやると、ブラオになっているが、点滅している。インドネシア語と英語の交互表示なのですぐ分かる。キャンセルだ。飛ばない。隣をみるとこれも同じブラオ行きで11:45発。こちらはチェックイン開始。アブ先生早く帰ってこないかな。飛行機を変えないと目的地へいけない。
アブ先生が戻ってくるや、パネルを指差して「飛ばないよ、飛行機を変えなければ」と、隣のカウンターのパネルを指差す。「アパイニ」「????」「どうして、おかしいよ」「こっちの飛行機は?」「その飛行機は小さい、怖くて乗れない、いやです」「え??」「乗れる人数も少ない、切符も買えない、待って、先生」。あちこちに電話をし始めた。回りのひとが振り向くほど大きな声で激しい口調で電話している。電話をやめると「故障です、明日の2時に飛びます、先生、ここで待っていてください」と言って、再び消える。
またカウンターの前で一人にされて待つことになった。明日の2時ならさっさとホテルに帰ったほうがいいのに。しかし、どうも今日中になんとかしたいらしい。消える前の顔が厳しかった。どうするんだろう。
しばらくして、意気揚々とした顔で帰ってきた。「別の道を探しました、行きましょう」。ブラオより北にあるタラカンに飛んで、スピードボートでタンジュンへ行って、タクシーでブラオへというコースだとか。そこまで6時間ぐらい。しかし、そこから10時間かかると聞いている。いったいどうなることやら。
とりあえずバリクパパンからタラカンへ。シギット先生も合流して同じ道をたどることになった。タラカンでは、なんとカダール先生が待っていた。アブ先生が途中で電話して助けにきてもらったらしい。会うなりカダール先生、私の顔と腹に手を差し伸べて「大きくなったね」と誰かと同じしぐさをした。仕方がないので、あの時と同じように「インドネシアで大きくなった」と言い返した。そういえば、この人たちと日本でつき合っているころは体重55kgぐらいのものだったし、今見ればだいぶ違うわけだ。





カダール先生も年取った。しわも多いし、苦労した感じがする。病気でなければいいが。「今ボルネオ大学の学長をしてるんですよ、大変ですね、日本大学に5人ぐらい勉強をね、させるのに送りたいんですよ、本江先生にお願いしてるんですね、大丈夫かな、ああ、日本語おかしい、忘れてしまいました」この人の日本語は相当まともだ。失礼だがアブ先生より上手い。カダール先生の日本語には「てにをは」がある。ほかのインドネシア人の日本語にはほとんどの場合「てにをは」がない。日本にいたときから感じていたが、インドネシアに帰っても忘れてはいないみたいだ。
カダール先生に助けてもらって、まずレストランへ。タラカンは島の町。カリマンタンとの間は狭いが海がある。海の魚は豊富なようで、魚をいけすから選んで料理してもらうレストランのシステム。インドネシアに来てからはじめてのスタイルだ。魚料理といってもから揚げなのだが、いつも食べている魚より、あっさりした食べやすいものだった。
食事を済ませて、ボート乗り場まで連れていってもらって、カダール先生にまた来るのでよろしくと、お礼をいって、ここでお別れした。
ボート乗り場に降りると、客引きのおじさんたちがたくさん集まってきて、行き先を聞いてくる。アブ先生が選んだのは、日本で言う4人乗りモーターボート。これで海を渡るのか?
いざ乗ってみるとスピードボートは激しく進む。静かな水面だがここは海。多少は波がある。波の上を飛んでは、着水、飛んでは着水を繰り返しているので、振動が激しい。昔乗馬に挑戦したことがあるが、馬の早足に乗っている感じだ。背筋を伸ばして腰で振動を捉えるとちょっと楽な感じだ。
はるか遠くに、岸は見えるが、水平線の下に見えない部分があり、進むに従って隠れていた部分が少しずつ見えるようになってくる。しかし、いつまでたっても全様はいっこうに見えない。これが1時間続いて、やっと岸の全貌が見えるようになった。この岸がカリマンタンということになる。
両側が岸になるところへ入った。波も無くなり、ボートのジャンプもなくなって、乗り心地が良くなった。岸にはマングローブらしい樹木が見え、河口に入ったらしいが、見える両岸も水平線のしたにまだ見えていない部分があるようだ。広い川だ。進むにしたがって、川幅がせまくなり、マングローブ林が近く見えるようになってきた。
このマングローブ林、よく見るとおかしい、見える部分の後ろが妙に明るい。岸沿いに樹は立っているが、後方には何も見えない。この景色がいつまでも続く、しばらく進むと川の分かれ道が現れた。この川の分かれもおかしい。上流から下流に向かって2つに分かれている。デルタだ。デルタを進んでいるのか。
さっき飛行機の上から見えたデルタの中が田んぼのようになっていた。デルタを縁取ってマングローブが残され、陸の湿地帯は伐採されて何も無いのだ。とすると、田んぼではなくて、えびの養殖場なのか。飛行機から見えたのは巨大なデルタ地帯、しかもその全部が田んぼのように見えた。こんなに広大にえびの養殖場があっていいものなのか。そんなに誰が食べるのだろう。ともかく、このデルタを通りすぎるには1時間以上ありそうだ。











デルタの迷路をうねうね走り、やっとのことで目的地到着。髪の毛は逆立って、めがねはべとべと、耳は遠くなるし、頭はくらくら。ボートを降りるとまた客引きのおじさんたちが集まってくる。アブ先生はその何人かと交渉するが断られている様子。「雨季だから、四輪駆動じゃないといけない、今車がありません、待ちます」。
そのうち、4輪駆動車がやってきた。客引きのおじさんが探してきたようだ。サマリンダから来たと言うもう一人の客と、我々とで相乗り。タクシーとはいえ、日本のような営業車ではなくて、日本で言えば白タク。ここから3時間でブラオにつくと言う。
走り出すといきなりダート路、舗装道路はほんの1km。それから5kmも走らないうちに他の車があっちへ向きこっちを向き立ち往生しているところへ出くわした。雨のぬかるみではまっている。助けを求める車もいたが、いちいち助けてはいられないというアブ先生の一言で、運転手は知らぬ顔で通りすぎる。案の定、次の5Kmのところにも同じ光景があった。とにかく知らぬ顔で通りすぎる。途中、卵を満載した大きなトラックや何台もの車が立ち往生していた。すべて知らぬ顔、我々自身いつつくのか分からない。
運転好きの人間なら、自分で運転して見たいような道だ。低速モード付きの4輪駆動車はこういうところを走るために作られたのだから。日本でそんな車を持っている人も実際こんなところを走る経験は無いだろう。水上のデリカも同じだ。
でこぼこと、ぬかるみを突っ走って、やっとブラオに着く。さらにここから10時間。
今度は会社の車に乗ってでこぼこと、ぬかるみを突っ走った。途中パンクと大雨がありやっとこせっとこ目的地CAMPSITEに着いたのは朝の4時。それでも起きて待っていた人がいて、「オランジャパン」と手招きされて、お前の部屋はここだと、真っ暗ななか、ベットに押し込まれた。とんでもない1日を過ごしたもんだ。しかし面白かった。
スレイマンキャンプに到着/
Arrival at Sulaiman Camp

2003年1月14日
とりあえず普通の朝の時間に起きる。わけも分からず泊まった部屋から抜け出して、出入り口から外へ出た。出るとすぐベランダがあって、そこのいすに腰掛けてとりあえずボーっとした。アブ先生もシギット先生もまだ寝ている。あたりを見回すと、正面が海の入り江の突き当たり、珊瑚の海のようできれいそうだが朝日の逆光で色は見えない。我が家の隣にも同じ様な家があって、そこのベランダには、欧米人が3人とイスラムの服装をしたインドネシア人が1人いた
。 そ のインドネシア人に「コピがあるからこっちへこい」と手招きされ、そちらへ行った。そこにいる人たちと握手をして、英語で挨拶をして着席。コピをもらった。この欧米人たち、不思議となにも問いかけてこない。どこから来たのだけ。普通の欧米人は、なんだかんだ、お前は何者だと聞いてきて、あまりしゃべれないのが分かってからあきらめるのに、もうあきらめられたのかな。とりあえず黙ってコピをのみながら様子を見てると、日本製のパソコンに向かって夢中で仕事をしている。彼ら同士では英語でしゃべっているが、インドネシア語もしゃべれる。相当堪能らしい。わたしを呼んだインドネシア人と早口で会話している。
シギット先生が起きてきて仲間入り。シギット先生に対しても彼らの態度は同じ。「こいつら俺たちを馬鹿にしているに違いない」。つまらないのでコピを飲み干して我が家のベランダに戻った。アブ先生が起きて来たので「彼らは何者」と尋ねると、会社の森林経営をチェックに来たエコラベリングのエイジェントだとか。なんとシギット先生もそのメンバーだそうだ。
エコラベリングって聞いたことあるが、なんだったけか。あまりはっきりおもいだせないので、「あっそう」で終わりにしてしまった。なにせ、2,3時間しか寝てないのだから、頭もまだはっきりしない。頭の中はまだ昨日の大旅行の続きをしているようだ。
わが家から飲み物をそれそれ手に持った人がぞくぞく現れてきた。同居人がいたらしい。ふと気がつくとかれらの話す言葉はインドネシア語ではない。中国語だ。しかし、アブ先生に呼ばれるとインドネシア語で話す。この人たちはやたらに質問してくる。日本人だと聞くと「おはよう」といい、英語で、名前は、日本のどこからきた、インドネシアにはいつきた、いつまでいる、ここにはいつまでいる、結婚しているのか、子供はどうした、奥さんは一緒じゃないのか……果てしない。中国系のマレーシア人だそうだ。
マンディと食事を終え、CAMPの事務所へいってまず到着の挨拶。オールスタッフが集まっていた。これはアブ先生が来たからか、私がきたからかとも一瞬思ったが、そうではなく、エコラベリングチェックのためだそうだ。これからその対策ミーティングに入るとか。私がいても邪魔だろうから、「ジャラン、ジャラン」といってカメラを持って表にでた。







建物周りの通り道には石灰岩の砕石がまいてあって、ぬかるみができないようにしてある。これは車用らしく、人の歩く所は低い草で覆われている。草の上を歩いてみると、ぐちゃぐちゃだ。ここにもまいておけばいいのにと思ったが、それは私だけの感覚のようだ。他の人たちはサンダルでも、裸足でも平気で歩いている。裸足なら、土地と草の上方が気持ちよいだろう。石灰岩の砕石の上は痛くないのかと思ってみていると、これもお構いなし。結局歩く人はどこでも歩く。
前庭の中に石灰岩の小山があって、岩の上に植物が生えている。これをカメラに収めてみようと観察すれば、いままでこの植物は見たことが無いなというものばかり。ここは海岸地帯だから、土壌母材は石灰岩で、特有の植物がいるにちがいないと勝手に推測。
ほかのところも見てみようと、その辺を歩き回る。道路わきに注目して植物を見ると、さっきの石灰岩の小山の上にいたものばかりが生えている。今まで普通に見ていたオヒシバ、メヒシバ、ススキ、アランアランなどは無い。ひょっとすると、オヒシバのような植物はインドネシアでも外来種で、このような奥地にはまだ伝播していないものなのかもしれない。
100mも歩くと林道となり、両側の草の丈が高くなった。違う植物が見れるのではと思ったが、樹木の稚樹が出てきた以外、草本植物の構成は同じ。建物の周りは丈の低い植物が植えられているのではなくて、自然に生える植物を草刈で丈を低く保つているのか。
草刈も人間がしているのではなかった。ここには牛とヤギがいて、放し飼いされている。彼らが草刈をしていた。
建物周りに戻るとエコラベリングのグループがそろって事務所の中へ入っていった。対決の始まりの感じがする。長い時間事務所の中でのミーティングが始まった。いよいよ私はお呼びでないので、我が家のベランダに戻り、もってきた蚊取り線香に火をつけて昼寝することにした。








うとうとしっかかったところになんとアブ先生が戻ってきた。「一発・・・・やってきた」「えっ???」「一発・・・・なんていうの、わすれた」「一発かましてきた?」「それ」「へんな日本語覚えたね」「え?だめな日本語」「そうです、だめです」「はい分かりました」。
話を聞くと、エコラベリングのエイジェントに、あなた方は調査したあと、私たちに何も言わずに帰る。私たちにここが悪いからこうしたほうが良いと言ったことが無い。そのくせ悪いところを見つけては、この会社の悪い情報を外で流している。私には誰がその情報を流しているかも分かる。これは問題だ。今回は私たちに調査の結果を報告して欲しい。どう改善するべきなのか私たちに示してから帰ってほしいと、先制パンチをかましてきたのだという。
そういえば、このエコラベリング、だいぶ前に学生に質問されたことがあって、知らなかったので、インターネットで調べたことがある。森林関係者にとって常識的に知らなければならないことだと思うが、私には理解しきれない内容だった。 エコラベリング自体は、環境維持にかかわる商品を対象に、地球環境を損しないよう製品化の過程で配慮がなされているかをチェックし、適合するものをラベル表示し、適合しないものと区別していこうというもので、誰もが支持できる思想と概念だと思う。このシステムは日本を含めた先進諸国で運用されている。 しかし、誰がチェックして、だれがラベルをつけるのかが大きな問題で、行政主導で行えば政治的圧力を強く受けるし、民間主導で行えば、産業界からの圧力を強く受ける。世界的に主流なのは、外部圧力を避けるよう、政府でもなく、産業界でもない、ラベリング組織を独立したものにすることのようだが、統一されているわけでもない。国連も関係していない。ヨーロッパには、ラベリング組織が主要国ごとにあったり、EUにあったりする。日本にも独自の協会組織があり、アメリカはアメリカ、カナダはカナダである。自国の製品についてのラベリングを行っている分にはそれぞれの国の責任だが、輸出入品について適用するには、各国の利害がからみ合うので、複雑だ。 木材のエコラベリングはもともと、熱帯から木材を輸入することの多いヨーロッパの木材会社が、地球環境保護の世論に対応して、健全な森林経営をしているところから出てきた木材だけを輸入し、環境保護を考えずに伐採される木材を使わないようにしようという発想からできあがったもので、 健全な森林経営を行っているとラベリングをして良いかどうかは、木材会社が連携して、中立的立場を守るNGOを設立し、この組織がエイジェントを派遣して、ラベリングにふさわしいかどうかをチェック仕組みをとった。派遣されるエイジェントは木材を伐採しているところの環境アセスメントをすることになる。このエイジェントの役目にたつためには、しかるべき教育を受ける必要がある。
インドネシアのこの会社が木材をヨーロッパの木材会社へ輸出する場合、ヨーロッパのラベリング組織がチェックに来ることになる。この場合の多くは、エイジェントにインドネシア在住の欧米人ナチュラリストが雇われ、インドネシア人がこの役目に着く例は少ないという。インドネシアの製品をヨーロッパが検査するという見方にもなる。
エイジェントがナチュラリストであれば、林業にとって決して建設的な答えがでるはずもない。彼らの心情的根底にあるのは森林のプロテクトだから、どうしても林業を破滅的行動として捉える。結局会社の森林経営のあり方を調査アドバイスするのではなくて、原生林伐採ストップにメンバーの神経があり、心情が先にたつ。
インドネシアの森林は、いつまでたってもヨーロッパの植民地だと、アブ先生はいう。この会社は現在ヨーロッパの会社と取引があり、一定期間この取引は継続されるが、その間にラベリングを受けないとヨーロッパの会社は取引を停止する契約になっている。先方の会社は木材の供給を受けるために、NGOにインドネシアの木材供給会社のラベリングを要請し、調査に欧米人がやってくる。その間にインドネシアの組織も政府も一切かかわらないという。
ヨーロッパのNGOがインドネシアに対してここまで影響力と圧力を持っていいのかとも感ずる。グリーンピースの大きなお世話と同じことが、ここでも論じらるような気がしてならない。シギット先生はインドネシア人としてメンバーに加わり、欧米人の中に入って大変だ。
ここに来ている欧米人のエイジェントはみんな若く、アブ先生の先制攻撃で緊張が高まったに違いない。それでも自分の主張に自信を持って発言している様子はたいしたもの。ここでどのような結論を残して帰るのか楽しみでもある。
アブ先生のエコラベリングに関する講義を受けて、結構疲れた。本当は寝不足解消をしたかったのに、すっかり社会科の勉強をしてしまった。なおかつ、「エコラベリングはこのぐらいにして、裏山の二次林を見に行こう」と誘われ外にでた。CAMPSITEの裏山が二次林になっていて、どんな樹木があるのか見てみてくださいとのことだった。鍛代先生もエコラベリングのエイジェント以上に勉強してくださいという意味なのか。
林の中へ入ってみても、樹種名もその性質も何も分からない。ただアブ先生は「ここにもメランティの小さいのが有ります」を言いたくてつれてきたようだ。ある。確かにある。林床にメランティの稚樹がある。「ここには植えていないから、自然に生えたものです」しかし、あたりに母樹は見えない。だいぶ遠くにあって、たまたまここまで種子がくるくると舞って飛んできたようだ。だからたくさんはない。「ほんとは、ここにメランティがいっぱい生えていることが必要です」「母樹を伐ってしまったということですか」「そう、だからメランティを植えなければいけない、苗畑をみてください」
今度は苗畑に連れて行かれた。メランティの苗が育てられている。それほど広くはないが、きちんとしたnurseryだ。メランティの実生ポットと。挿し木のポットを見た。ポットは黒いビニール製のもので、日本でよく見るのと同じ。培養土には枯れ葉交じりの林内の土を使っている。挿し穂は高さ2mぐらいの苗木がおおきくなってしまったものからとっていた。育てた苗は林の中で、メランティの稚樹がないところに植えるのだそうだ。
















ロタンの苗もあった。なんと有薗が作った苗だとか。ざっと300鉢はある。彼が自分で種を取ってきて作った実生だそうだ。「帰ったら、タケシに、ちゃんと生きてることを伝えてやれ」と苗畑の人の言葉だ。
アブ先生が何年か前に植えたロタンも見せてもらった。ロタンは樹に這い上げってはいたが、肝心の樹が枯れてしまって、枯れた幹に巻きついて行き場を失い、ぐるぐるしている。枯れた樹は早生樹だという。早めに育つ樹は早めに枯れて、ロタンはそれより長生きするので、次に大きくなる樹が来るのを待たなければいけない。自然のなかではどうなっているのだろう。ロタンの生態をはっきりさせなければ、アグロフォレストリーには結びつかない。

苗畑見学を終えて、事務所へいった。インターネットができるようにパソコンをインストールしようと事務所の専門家が待っているそうだ。PCを取りに戻って、無線室へ行った。ここではTELKOMNETはつかえないので、専用のブロバイダの設定をするよう、技術者から言われその通りにした。設定している間にアブ先生が電話を使っている。しかし、ハローというとブチッ、ハローというとブチッの繰り返しで、つながりはするが会話していない。インターネットならいいだろうと設定完了したPCを接続して試してみる。現象は同じ。設定は間違っていない。
しかし、この設定値、速度が2400bpsになっている。ふた昔ぐらいの数字だ。これではインターネットのホームページ閲覧は土台無理。Emailも小さいもがやっと読める程度だろう。しかもこの電波状況では、やるだけ無駄かもしれない。
無線担当者の言うには、最近雨が多くなってから電波が悪くなった。裏の樹が大きくなったのでそのせいかもしれないので、伐ってみたが良くはならない。アンテナが曲がっているのかも知れない。と言う具合に電波の悪い理由は分からないが、とにかく悪い。アンテナをセットするのが上手いやつがいるんだが、それは明日来るとか。多分それもだめだろう。あきらめることにした。
ここの電話はジャカルタに拠点のある会社の衛星電話で、携帯で使っている衛星電話とは違うらしい。携帯の衛星電話なら、さっきエコラベリングのやつらが使ってた。かりたらどうだ。とも言っていたが、そんなわけにもいかない。
今度来るときまでに、携帯の衛星電話をどこからか調達できないものだろうか。
今日は初日だというのに、ずいぶんといろいろなことをして、勉強したものだ。飯を食って直ぐ深い睡眠に陥った。シギット先生は同じ部屋なのだが、そのころ彼はエコラベリングのミーティングにでていたそうだ。
奥地の集落/
Backcountry village

2003年1月15日
朝から船に乗る。エコラベリングの人たちの男性は別の船、女性たちが一緒の船の2つに分かれた。エコラベリングの人たちも今日は専門分野に分かれて視察ということのようだ。
一緒に乗った女の人は奥のダヤックの集落へ行ってヒアリングだそうだ。
この船はそれほど早いものではない。細長い入り江の真ん中をことこと進む。西表に渡る時の船に比べればはるかに遅い。








途中、湾内の沿岸に小さな山火事跡のようなところを見つけたのだが、エンジンの音がうるさくて、アブ先生に質問しても返事は聞こえないし、何を言っても分かってはくれそうもない状態。

湾から外海に出てると、CAMPのボスが「TOMOKOもここへきた」と小さな島を指差した。ココヤシが海岸線にあり、きれいな島だ。「カナヤ、コバヤシもここへ来て喜んでいた、トモコが一番喜んだ、3周したよ」だそうだ。と聞けば俺も・・しかし、今日はよってくれないらしい。マングローブの林に行くのだと。

海岸に沿って、船は進み、遠くに広いココヤシの林が見えてきた。ココヤシは集落のあることを示す。あれが目的地だ。
目的地は目の前になったが、引き潮で船が村の入り江には入れない。砂浜に向けて突き当たるまで進み、残り30mほど浪打際まである。一人が飛び降りて、浜においてある丸木舟を持ってきた。レディーファーストで一人ずつ、それにのって渡る。次に私、乗ってみると船底は水溜り。お尻が濡れたのでちょっと腰を上げたら、そのままドボン。ひっくり返ったのではなく、船だけくるりと回転して、人間は立ったまま入水。「オー、カメラ、カメラ」とみんなが叫ぶ。カメラは首あたりにあったので無事。しかし、腰まで浸かってしまった。いっそのことパンツ一丁でここで泳いでいようかという感じ。強烈な陽があたっているので直ぐ乾くだろう。
浜から歩いて直ぐ、入れなかった入り江周りに集落があった。集落は海からは見えない。入り江の先は森の中へ続く川になっていて、その岸はマングローブ群落だ。ヤエヤマヒルギのタイプのものが多い。集落のうちの一軒にお邪魔して、アブ先生は家の人と話し込んでいる。ほかに一緒にきた会社の人たちは、エコラベリングの女性2人と一緒に歩いていってしまった。ここから、5km先のダヤックの村へヒアリング調査に行く。




アブ先生と私はここでマングローブ林の見学。お邪魔した家の船を出してもらって、川をさかのぼろうということだ。しかし、突然あたりは暗くなり、大雨。乾くと思った腰から下はびしょびしょのまま。これでは帰るまでには乾かない。
何もしないのもつまらないので、雨の隙間を突いて出帆。船頭さんはさっきの家の息子。マングローブを構成しているのはほとんどがヤエヤマヒルギタイプの樹種。ヒルギ類はこれしかみあたらない。ところどころ赤っぽい鹿模様の樹皮をした樹が見える。ヒルギではない。きれいな幹なので目立つ。「あれは何」と聞くと「降りてみよう」。岸に降りて、観察会。

岸に降りると、ヒルギが伐採されて倒れていた。なぜ伐ったのか聞いてみると、集落の薪にするそうだ。50cmぐらいの玉にして船で運ぶ。山へ薪を取りにいくより楽だとか。燃え方はいいのだろうか?
さっきの鹿模様の樹皮をした樹を見つけると、上のほうに実がついている。「食べれるの」と聞いてみる。若者はこの樹は実も材も役にたたないからだれも伐らないという。しかしさっさと樹に登って実をとってきてくれた。せっかく採ってきてもらったのに捨てるわけも行かず持って帰ることにした。








雨の間隙もここまで、再び大雨、大慌てでカメラをスーパーの袋に入れて完全防水処置。人間のほうは完璧に頭から足先まで完全ずぶぬれ。海に落ちなくても同じことだった。もはやこれまでと船を戻す。
ずぶぬれのままさっきの家で休憩。もって来た実を親父に見せると、「いいものを採ってきたね、奥さんにお土産か」と言ったらしい。「息子は何にも使えないといってました、どういうこと、聞いて見ましょう」と私に説明して、親父と長話をし始めた。息子は若いからあまり知らない。それに川より、海が好きであまり川へ行かない。 その実は乾かしてつぶして粉にして、米の粉と混ぜて、顔に塗る。塗るといってもお化粧ではなくてパックのような美容材らしい。「マングローブの村の女はこれが有るからみんなきれいだ」と奥さんを指差して親父が言ったようだ。「まじめな話なのか?冗談か?」奥さんは確かにきれいだ。
木材もきれいな杢がでるので家具に使われ、材自体は高価なものだ。村では製材するのが面倒なので使わない。時々ジャカルタから取りに来てもっていくとか。それはたぶん盗伐だろう。金持ちが好きな木材だと親父はいう。樹の名前はジャンボジャンボだとか?






雨は降り続き、別の家にお邪魔して、昼飯を食って寝た。衣服はびしょびしょのまま。
エコラベリングチームもびしょびしょで戻ってきて、帰路に付く。満ち潮になったので、船は入り江の中まで来ていた。雨に濡れながら、再び船にのり、濡れながら帰路の航海。乗船メンバーの2人が、つり道具を出してトローリング。私に向かって「ツナ、ツナ」といっている。日本人がツナ好きだと言うのは世界の定説のようだ。マグロ?そういえばフィリピンのエルニドでも同じ光景に出会った。小魚が跳ねているので、ポイントが見える。船はその真ん中を目指して進み。通り過ぎるとツナがかかる。仕掛けはでかい毛ばりを流して引いているだけ。フィリピンの時と同じだ。
家に戻ると、釣れた魚が早速夕飯に出ていた。マグロといってもカツオより小さい。
エコラベィング監査/
Eco-labeling inspection
2003年1月16日
一日中雨。本当に雨季だ。何もしないで一日中ベランダでボー。




エコラベリングのお付き合いも終わりらしい。夜のミーティングで、メンバーが会社の人を集めて結果報告。先制攻撃がきいたのか、彼らが述べた結果は良好らしく、アブ先生はほっとしている様子。ほっとどころか少しはしゃぎだした。「終わった、終わった、よかった、よかった」「xxxx、xxxx、xxxx、xxxx」きっとインドネシア語でも同じことを言っているのだろう。日本ならここで祝宴と言うところだろうが、さんざんべらべらしゃべって「あー、嬉しいね、寝ます」と言って寝てしまった。祝寝だ。エコラベリングのメンバーは、隣でワインを出してもらってお疲れ様会をやっている様子。けっこうにぎやかだ。シギット先生もメンバーのはずだが、私に「疲れたー」と叫んでねた。ほんとうにご苦労様でした。外は大雨の気配。



2003年1月17日
大雨で木が倒れる/
A heavy rain last night knocked down the tree
夜中の大雨で、ロッジの前の樹セゴンが倒れた。大雨だけで樹が倒れるなんて信じがたい。風も吹いていないのに。
雨が上がったので、倒れた樹の観察。よく見ると倒れたのではなくて、折れたのだ。根元からではなくて、結構高い位置で折れている。風も無く雨だけで倒れる理由が分からない。折れたところは腐っていた。












ここへ来たときから、アブ先生にこの樹は早く育つので、造林によく使われた早生樹種だが、8年もすると死ぬ、駄目な樹だ、薪にしか使えない、これを造林したらいいと言った学者がいる、なんてばかなんだ、とぼろくそな説明を受けていた。その説明の通り、今日倒れた。できすぎの話。アブ先生のことだから「私の言ったとおりでしょ」と自慢げに言うに違いないと思っていたが、何も言わない。どうも予測の的中を自慢するようなことではなく、常に起きる当然のできごとらしい。
初めは8年もすると他の樹種が大きくなって、この樹に追いついて競争状態になって枯れるのだろうと考えたが、そうではない。この樹が優勢に枝を広げていても8年立つと競争無しに枯れるのだ。その原因は腐朽だ。雨が降ると枝が重くなって、腐朽の激しいところが折れる。根が腐っていていれば根返り、枝元が腐っていれば枝落ち、幹が腐っていれば幹折れといった具合に、腐っては折れ、腐って折れして枯れるのだろう。
エコラベリングパーティーは朝早くブラオへ向けて出発。今日はブラオかその途中で泊まるとか。お疲れさまでさようなら。シギット先生も一緒に帰る。これを見送ったあとは、静けさだけが残る。夕べ雨も降るだけ降ってしまったらしく。今日は晴れている。雨の気配もない。午後は船に乗って海に出るという。
漁師の暮らし実態調査/
Fishery survey
午後になって魚釣りのレクリエーションかと思いきや、漁師の生活の体験だそうだ。本当に体験で、アブ先生は漁師のおじさんにいろいろ質問してノートになにやら書きとめている。魚釣りはしなかった。これは遊びのつり船ではなくて、漁なのだ。それでもちょっと貸してといえば貸してくれたろうが、遠慮しているうちに船酔い。気持ちが悪くなってじっとしていた。寝たふりをして様子を見ていると、漁師のおじさんの釣りは、錘が着底すると同時に魚信をとって、引き上げる。入れ食い状態。ほかに乗っている息子らしい若者には魚信が無いのか分からないのか、ほとんど釣れない。 かえったら寝た。飯も食わずに寝た。やっぱり海は苦手だ。












フージャンラバット・熱帯雨林/
Hujan rambut・Tropical Rainforest
2003年1月18日
またまた、雨。結局ここで覚えたのは「フージャン ラバット」というインドネシア語。強い雨という意味。ラバットは髪の毛が濃いことをいうらしい。だから濃い髪の毛のように降る雨がもともとの意味になる。とにかく、とにかく、毎日、毎日、雨だ。
雨の中をついて、森林の観察に出た。今まで、雨だから今日はやめて明日にしようと言って、繰り延べになりっぱなしのプログラム。明日ここを発つので、今日しかない。
車で山に入り、途中で降ろしてもらって、歩きながら択伐林の様子を見た。もちろんフージャンラバットの中。大きい樹も残っている。大きな樹を見るたびに、だれかが「熱帯は木材生産工場だ」と言ったことを思い出す。確かに地球上で最も効率的な木材生産工場だ。
択伐林型が上手にできたところへ連れてきてみせてくれているのだから、森林には見ごたえがある。森林とは無縁の人なら、これを原生林だと言っても、信ずるに違いない。見せてもらっているのは伐採してから15年を経た林分。意外にと言っては失礼だが、まじめな択伐だ。林伐期が35年、あと20年で再び伐採することになるが。大きな樹も多く残っているので次の択伐候補は見えている。
雨も強くなったので林道を歩いて戻る。連れてきてくれた車は現場に行ってしまって戻ってこない。道路上で会社の若者がメランティの種子を拾っていた。道の上に落ちているのをどんどん拾っている。「樹の下に行けばもっと拾えるのに」とアブ先生。「そうではないでしょ、きっと」若者にアブ先生が尋ねてみると、林の中へ入ると見つけにくいし拾いにくいそうだ。「ブナと一緒だ、俺も日本で同じことをしている」と若者に伝えてもらった。

























































2003年1月19日
大きな鳥の鳴き声?いやサルだ!/
The cry of a big bird?
No, big monkey!
朝5時半に起きてベランダに出る。なにかおきな鳥の鳴き声がする。声が大きいので体も相当大きいものだろう。まだ暗いので見にいっても何も見えない。
明るくなって、コピをもらって荷物の整理を初め、すぐ終わった。再びベランダでのんびりしていると、さっきの鳥がまだ鳴いている。裏の山を覗いてみると、樹が揺れている。これは鳥ではない。起きてきたマレーシア人が「big monkey」と教えてくれた。遠くて写真は取れないが、白くて相当大きい。きれいな声をする猿だ。オランウータンではない。
スレーマンキャンプを去る/
Leaving sulaiman camp
食事もマンディも済ませて出発準備完了。だが車はない。会社の車はエコラベリングのメンバーを乗せていったきり、まだ戻っていない。しかも1台は四輪駆動ではない車だ。あの雨の中どうやってブラオへたどり着いて、どうやって戻ってくるのか考えて見れば、戻って無くても当然。運転手も休養が必要だし。
会社の人たちがいろいろ考えた結果、私に「運転はできるか」とたずねてきた。「もちろんできる」「しかし、急坂とぬかるみと曲がりくねった道だぞ、それでもできるか」「大丈夫、日本の山と同じだ」。会社の人たちはさらに考えて「雨が降ってきたら運転を代われ」「なぜ?」「アブが前に乗って、お前が運転する」「どういうこと?」「雨が無ければドライバーが運転する、雨が降ればお前が運転する、車はトラックだ」。結局こういうことだ。用意できる車が小型トラックしかないので、運転手を含めて屋根の下には2人しか乗れない。鍛代はお客だから前に乗せる。アブ先生は荷台に乗せる。雨が降ってきたら、アブ先生をぬらすわけにはいかないので、ドライバーが荷台に乗る。アブ先生の運転では無理だから、鍛代が運転するということだ。「多分、鍛代はいいドライバーだと思う」と、運転した姿も見ていないのに。
ということで、四輪駆動の小型トラックが用意され、私は助手席に乗ってアブ先生は荷台にのってスタート。後ろを時々見ると、アブ先生は目を大きく開けて前方を見ている。風にふかれて戦国時代の大将のようだ。だんだん目がつりあがってきて般若のようにも見えてきた。 2時間会社のトラックを走らせ、途中小雨はあったがたいしたこともなく、アブ先生は風に吹かれ続け、レストランのあるちょっとした町についた。ここで食事をすませるとアブ先生は「ここでいい」と会社の車を帰してしまった。あと8時間風に吹かれれば、きっと死んでしまうだろう。本当に疲れた様子だった。残念ながら私の運転する幕はなかった。
「ここからタクシーを捜します、見つからなければここで泊まります」。タクシーといってもこんなところにいるのか?泊まるといってもホテルはないぞ。「ホテルはレストランの家の部屋を借ります、タクシーは店の人に探してくださいとたのみました」だそうだ。
レストランの家の一室に荷物を置き、とりあえず寝床を確保。
大規模苗木生産拠点/
Large-scale nursery for forestation

バイクを借りて、この近所の見物に行く。アブ先生が運転で、私は後。交替したいのだが、譲らない。アブ先生あちこちで泊まって出会う人になにやら声をかける。タクシー探しなのかと思ったが、そうではなく人を探しているようだ。「弟の娘の主人、なんと言うの?」「それは、姪の婿、むずかしい」。
やっと探し当てると、知っている若者だった。たしかラマダン明けの正月に弟さんの家で会った。英語で話をしたことがある。この村に、彼の勤める木材会社のCAMPがあって、そこで働いているのだそうだ。彼の仕事を見せてもらうことになった。
この会社は広大な苗圃をもっていて、ジャティ、メランティ、ウリンを育てていた。床上げ式の栽培棚に細長い円錐状の栽培ポットが差し込みまれ、地上部の高さで20-30cmぐらいのものがずらっと並んでいた。苗木生産の実験もいろいろしていた。播種、山引き、挿し木、取り木、考えられることは何でもしてみるという感じだ。バーク堆肥も作っていた。実際にポット苗つくりに使っている。この広さで苗木つくりをすれば、苗木販売もするのかと思えば、自分の会社の山に植えるためだけのものだとか。伐採したら植えなければならないインドネシアの法律に基づいたものだそうだ。設備しなければならない苗畑面積が伐採取り扱い面積によって決められているという。この苗畑面積からすると、アブ先生のDAISY TIMBERよりはるかに大きい会社のようだ。















レストランの家に戻ると、会社の車が来ていた。ブラオから戻ってきたのだ。CAMPへ連れていってもらったときのダイハツがいる。運転手も同じ。しかし「タクシーが見つかりました」とアブ先生はいう。「これは会社の車じゃないの」「違いますタクシーです」「でも・・・・・?」この運転手と車は会社のお抱えのタクシーとドライバーらしい。CAMPにいる間、ずっと一緒だったので、勝手に会社の人だと勘違いしていただけなようだ。
このタクシーはエコラベリングのメンバーを1日半かけてブラオに連れて行き、再び会社の人を乗せCAMPに向かい、今日この村で休憩したのだそうだ。我々が見学している間に、ブラオから運んできた人と荷物をCAMPまで行って降ろし、またこの村へ戻ってきたらしい。タフな運転手だ。
この村を離れて、ひた走りに走って8時間。ブラオのホテルに泊まる。