Borneo Indonesia
Bukit Bangkirai 20021231
ブキットバンキライへ家族旅行/
Family vacation to Bukit Bangkirai
2002年12月31日(火)
ルンパケ演習林へ立寄り /
At Lempake edacational forest

大晦日の午前中はルンパケの演習林へいった。大晦日といってもインドネシアには新年を迎える忙しさはなにもなく、普通の日だ。
ルンパケの演習林には天然林はないが、植物を見て回るにはちょうどよさそうなので、今度1日中ここへ捨てていってほしいと前に頼んだ。今日はそのオリエンテーションだとか。車で中を一回りして、二次林を主体としていることを説明してもらった。天然林の植物はほとんどないそうで、それでもいいのか?というアブ先生の疑問だったようだ。私にはまだ時間があるし、どんな植物が二次林にあるのかだって、十分私の勉強になる。
今はなぜか森林植物より、道路わきに生える路傍生の植物に興味がある。日本のオヒシバ、メヒシバ、ギョウギシバ、チガヤ、ススキ、セイバンモロコシにまるでそっくりな植物がたくさんあって、これらが日本のものと同じなのか、生え方も一緒なのか、農作物とのかかわりはどうなのか知りたくなってきていたところだ。とにかく、後でいいから、ここへ1日捨てていってほしいとアブ先生に頼んだ。



さらに、車で一回りしていると、ブロックに製材された木材を満載したトラックと出会った。アブ先生運転手さんに車を真ん中へ置いてとめるように指示しトラックの行く手をふさいだ。何事かと思えば「どろぼうです」。
トラックには作業員が数名のり、後ろにはバイクが2台。喧嘩すれば負ける。アブ先生も緊張状態。バイクに乗ったリーダーらしい男がアブ先生に近寄り、話しかけてきた。その後は激しい口論。話が収まると、通路を空けて、トラックを通過させ、見送った。「彼はこの木をもらったといっています、うそです、名前と住所を聞きました、それもうそでしょう、演習林のだれかお金をもらっているのかもしれません、学部長に報告します、木材はバンキライです、残り少ないのに」。
演習林内でも盗伐・盗採は絶えないそうだ。法律上は重大犯罪で、警察に通報すれば逮捕されて大変なことになるのだそうだが、会社組織の実行犯以外に、住民が逮捕される例は無いという。法律では木材は国のもの、しかし住民意識ではみんなのもの、みんなのものは自分のもの、正しいことか正しくないことかは神様が決めるというのが信念のようだ。
アブ先生、大急ぎで大学に戻るはずだったが、途中で車を止めた。蛇売りがいたのだ。露天の机の上でコブラが頭を持ち上げている。恐ろしい。日本にいたときに俺は蛇が嫌いだといっておいたでしょ。もう忘れたの?まあ忘れているだろうな。こんなもの見たくはないんだが、仕方なしに覗いていると、蛇売りの親父がコブラを持って近づいてきた。「おーーー」これはたまらん。5mほど吹っ飛んで逃げた。売っているのはコブラではなくて、アオダイショウに似た褐色の蛇、ただ頭は丸い。100ぐらいは机の下の籠の中にいる。なんでも健康にいいとか。しかし恐ろしい。蛇売りの親父はマレーシア人で、店の本拠地はシンガポールにあって、100種類ぐらいの蛇を扱っているという。インターナショナルな蛇売りをして、今日は出稼ぎにサマリンダに来たのだそうだ。日本人だと聞くと、これを日本にもっていって商売しないかだと。商売をしている人に会うといつでもこれだ。「だめ、俺は蛇が嫌いだ」と日本語で叫んであとずさった。
大学へ行って、私がルンパケで勉強したいことと、盗伐・盗採の一件をアブ先生がワワン学部長に報告した。



一路ブキットバンキライへ/Well,to Bukit Bangkirai

大学でことを済ませると大急ぎでアブ先生の家に向かった。家族が出発を待っている。有薗もアブ先生の家に向かった。これからみんなで、ブキットバンキライへ向かう。家に着くとまもなくみんなが車に乗り込もうとしている。一人だけ、長女の娘さんがさびしそうにしている。「行かないの?」と聞くと「私はここで留守番、用事もあるし」「残念」「どうぞ行ってらっしゃい」。英語とインドネシア語のチャンプルで会話が完成。しかし、残念。
メンバーは運転手パルディ、アブ夫妻、次女と三女の娘さん、院生アリと私合計7名。車には荷物室にちゃんと座席があって、合計9名乗れるしくみ。一応定員以内で乗車。しかし荷物室は狭い、院生アリ有薗と三女がそこに乗る。アブ一族の大移動という感じだ。
車がスタートすると、すぐ奥様が「マカンです、せんせい」。みんなで昼食タイム。出発前の休憩といったところだ。ほどなく再出発、一路ブキットバンキライへ。
バリクパパン方面へひたすら走り、バリクパパン近くにあるお店に寄った。ここは3度目だ。とにかくこちらの方面にくると必ず寄る。水とお菓子、私はタバコを買って少し休憩。この店なにかいわくのありそうな場所だ。分かれ道の辻にあって、休憩するにはちょうどいいところだが、それ以外にも立ち寄る理由があるのかもしれない。
ここからバリクパパンへ向かう道と分かれて、内陸側へ向かう。いままでの見学ではここから海側へ向かっていたが、この道は初めて。道は直線でもアップダウンがきつい。舗装道路は数キロで終わり。あとははてしなくダートが続く。でこぼこ道だから、スピードは出ない。しかも荷物室の二人のことを考えればゆっくりゆくり進まないと死んでしまう。
道路の両脇は、海側の道と違って、森林地帯。森林は2次林。時々視界が広がると、そこは山火事の跡とのこと。家もほとんどなく、あっても数軒家があるだけ。村を構成するほどの集落は無い。





途中、火の見やぐらのようなタワーが道路わきにあり、「先生、登りませんか」とアブ先生。「はいはい」と喜んで鉄はしごを登った。それにしてもこのはしご熱い。3秒以上は握ってられない。ねずみが登るようにさっさと登らないと焼けどするのでは?ちなみに有薗もアブ先生も娘さんたちも登らなかった。
やぐらに登って一周見渡すと、山火事跡の天然再生パターンが一望に見渡せた。アブ先生によると、山火事の跡に良く出てくるのに、焼畑のあとには出てこない植物があるという。多分、土壌への熱の入り方がちがうからだと思うが、一度土壌断面をみてみたい。サンプルも日本へ送れないものだろうか。


車はさらに奥へ進む。道の雰囲気は日本の林道とさほど違う様子は無い。こういうところへ来ると、世界中どこでも同じような感じなのだろうか。だんだん大きな木が見えるようになってきた。
立派な森林が見えるようになってきたころ、目的地に到着。ブキットバンキライだ。アブ先生が言うには「泊まるところは家のホテル」だったが、それはコテージ。なるほど、家のホテル。私に言わせるとサザエさんハウス。高床式のインドネシアの普通の家がコテージになった感じだ。それがあちらこちらに10棟以上あるんだろうか。管理棟もセンスの良いつくりで、レストランも脇にある。今日はここでNEW YEARを迎える客がたくさんいるという。
我々の住む家は、マンディールーム付きの寝室が2つあって、長いリビングが表口から裏口まで続いていて、ソファー、テレビ、ダイニングテーブルがある。そしてベランダがリビングの周りにある。日本の若者がみんなで見学に来るにはちょうどいい宿舎になりそうだ。
アブ一家が1室に入り、院生アリと私が1室入った。パルディさんはソファーに寝るという。よく見るとアブ一家の部屋にも私の部屋にもベットはひとつしかない。院生アリは床に寝ればいいが、アブ一家はどうするのか?聞いてみると、ベットにはマットが2つ重ねてあって、上のひとつを床に下ろして使うのだという。「?」
奥様がいきなり、「せんせい、マカン、マカン」といって食事の用意を始めた。まだ3時半、さっき昼ごはんだったのに?家からピクニックランチ、いやディナーを用意してきたのだ。なんとビールまで出てきた。「ビール、せんせいだけ、アリだめね」院生アリは禁止された。とはいえ、缶ビールが7本もある。今までまったく飲んでいなかったのでちょっとうれしかったが、飲めるかな?残してもいけないし、ほかに誰が飲むわけでもないし。とりあえず出された1本に口をつけて早いディナーをみんなでとった。
久しぶりのビールで眠くなり、テレビを見ながら「ぐー」。自分のいびきが聞こえた。気が付いておきてみると、娘さん二人がキャーキャーいって騒いでいる。携帯電話が入りそうで入らないようだ。電波が薄くてぎりぎりのところ。あっちに行ってはキャー、こっちに行ってはキャーを繰り返している。日本の若者と変わらないな。今度は私のところへきて、あなたのは?とたずねられ、自分の携帯を出してみたら、アンテナ1本がついたり消えたり。同じだと分かると、再びうろうろし始めた。残してきたお姉さんに電話するのだそうだ。ここには有線電話はないらしい。わたしもせっかくパソコンを持ってきたのに、新年の挨拶送信は、サマリンダに帰ってからになりそうだ。
そのうち二人がにこにこして帰ってきた。通話成功?ではなく、SMSで連絡がとれたそうだ。めでたし、めでたし。妹二人としては、一人残してきたお姉さんのことが気になるのも当然。SMSはドコモのショートメールみたいなやつで、電話番号へメールを送る仕組み。世界中で通用するのだが、日本と韓国だけは携帯電話のシステムが違っていて連携が取れない。連携のとれるようなサービスはどこかにないのだろうか?あれば日本との連絡も楽なのに。
暗くなったら、レストランへいってまた食事。こういう場所ではナシゴレンとミーゴレン。私はさっきの食事で腹いっぱい。そういえば、インドネシアに来てから1回も腹が減ったという感覚になったことは無いのでは?コピをたのんでもらった。コピもずっと飲み続けている。飽きない。日本のコーヒーとは程遠いものだが、インドネシアで飲んでいると、お土産に買ってきてもらって日本で飲む時より遥かに美味い気がするし、日本のコーヒーが飲みたいとも思わない。土地や気候が変わればそんなものかもしれない。
家のホテルに戻って、テレビを見ようとしたが、急に映らなくなって、寝ることになった。紅白歌合戦もないし。アブ夫妻は、部屋からリビングにマットを引きずり出して、仲良くゴロン。娘二人は部屋の中に。院生アリは私たちの部屋の床で勝手にゴロン。パルディさんはソファーでゴロン。私はまだ、ビールを飲む勤めがあって、ベランダへいってゴクゴク。あと5本。外では、新年を迎えようとする元気者がいろいろ出てきて、キャンプファイヤーの準備をしている。サッカーの観戦で使うようなラッパの音がなり響いて結構うるさい。もう1本ビールを飲んで眠くなったので、寝る。新年まではあと3時間。
やたらに外がうるさいので起きた。外では火の燃える音がして、例のラッパが鳴り響いている。どうやら年が明けたようだ。我が家のほかの人は気にせずグーグー寝ている。みんなインドネシア人だから年明けはどうも関係ないのだ。しかし、私も外まで見にいく元気はなく、また寝た。私もインドネシア人になり始めた。
2003年1月1日(水)
熱帯雨林の巨木バンキライ/
Big tree Bankirai in Toropical Rain Forest

新年の朝をブキットバンキライのコテージで迎えた。あけましておめでとうございますを言うこともなく、御節料理を見ることも無く、もちの姿も、門松もない。考えて見れば海外で年を越すのは初めてのことだ。記念すべき日かも知れない。電話もないので、メールもとっくにあきらめているし、年賀状も書きようがないし、正月のために気にすることもない。普通の朝だった。
食事を済ませると、待望の天然林の見学に出た。奥様とパルディさんは居残り。天然林内に観察路が設けられていて、ガイドがついてアブ一家みんなで歩く。地名のブキットバンキライというのは、ブキットが山でバンキンライは樹の名前を示している。大きなバンキライがたくさん生えている。樹木が大きいので、なにを見上げても、葉の形どころか大きさすらよく分からない。樹皮を見れば、この樹とこの樹は同じかぐらいは分かるが、分かったところで……
とにかく「でっけえ樹だなこりゃ」と上を見上げることが何度も。ほかのことには目がむかなくなった。アブ先生は、例のようにいろいろと説明してくれるが、相変わらず頭はオーバーフロー。学生の気持ちが分かるな。


















圧巻キャノピー・ブリッジ/
Great Canopy Bridge

キャノピー・ブリッジというおもしろい施設についた。大きな樹4本に木材でタワーが組んであって、テッペンのテラスからテラスへ吊橋が渡されている。「これは楽しい」と心でつぶやいていれば、「ともこがここで喜んでいました」とか。「む、やつと一緒か俺は」とまた心でつぶやいた。正直楽しい。あたり一面、回りも下も、全部の写真を撮って、眺めて、吊橋を行ったりきたり。日本の山でも、なかなか上から下を見渡すというチャンスには出会えない。普段見れない風景というのが興味のわく本質なのだろう。
よく見てみると、超高木とその隣にある次に高い樹との間には高さの空間があって、その大きな隙間から、直射日光が下まで入りこんでいる。熱帯の植物は、斜めに光が当たる日本の植物とは光の受け止め方が違いそうだ。下から見ててはよく分からなかったが、ロタンが太陽に向けて葉をいっぱいに広げているのが見えた。寄りかかっている樹木の上でロタンはのさばっている。下から見てるとただツルが這い上がっているだけしか見えないのに。おもしろいものだ。
吊橋の上で何と電話が鳴った。驚くなかれこのタワーではアンテナが全部点灯。日本の我が家からだ。母親がどうしてると尋ねてきた。どうもこうも今樹の上だと答えると、「なにやってるの」。説明してもわかりそうもないので、新年の挨拶だけ済ませて切った。ついでに友達にも電話してみるが、忙しいらしく出ない。留守電で新年のご挨拶。こんなところで日本と電話できるなんて。下を見ると姉妹2人もお姉さんと電話中。





















