Borneo Indonesia
Derawan, Sangalaki, Kakaban20030503
まだ足りない学び旅/
learning trip without the end
カリマンタンにもこんな美しいところがあったのか/
How beautiful the view is! Heavenly places even in Kalimantan
天国のようなドゥラワン諸島/
Derawan Isiands like Heaven

2003年5月3日 (土)
ドゥラワン島/Derawan Isiand



















ブラオから船にのってドゥラワン島へ着く。カリマンタンにもこんなきれいなところがあったのか…と驚きと興奮。目的はウミガメの産卵を見ること。いわばレクリエーション施設の見学だ。
昼についたので、真っ昼間の浜を一周してみたが、暑い。頭がくらくら。宿泊はロスメン。そろそろホテルの一人部屋にしてほしかったが、そんなものはここにはない。マンディルームも共同で一つ。
この島は人も多く住み、ダイビングのツーリストもいる。船の出入りも激しくウミガメが来るのを見られる可能性も少ないようだ。スピードボートで近くのスガラキ島へいくことになった。というよりアブ先生の計画通りなのだろう。
スガラキ島/Sangalaki Isiand


夕方スピードボートが発進。日のあるうちにスガラキ島へ着いた。スガラキ島は保護区になっていて、ホテルとレストランがある。ここに泊まればよいのだろうが、アブ先生は高いから駄目だとか。やっぱり、よく知っている。
この施設に入ると、施設の関係者に直ぐ捕まり、どこから来たの…どうするの…尋問される。アブ先生がムラワルマン大学からきて、ジャランジャンだと言うと、8時ごろにウミガメが来るからガイドを出すという話になった。勝手にうろつくことはできないらしい。そして勝手に入ってもいけない島らしい。手続きが必要…いつでも手続きなしで行動している我々…これをアブマジックと呼ぶ。





施設の人の話を聞くと、ここの利用者はダイビング客ばかりらしい。今いる客もおおかたダイバーのようだ。しかし、若い人はあまりいない。欧米人の夫婦が2-3組。中国系のグループが1組。離れて座っている。施設は南国風の建物で、照明はいつもながら暗い。老眼の進んできた私には、ここで文字を読むことは不可能。
かつて、日本人がたくさん来ていた頃があったそうだが、今はあまり来ない。その頃のここの施設は日本人だらけだったという。日本の経済が落ち込んだせいか?と尋ねられたが、たぶんとしか答えられない。それより、こっちにしてみれば、どうしてこんな不便なところまで日本人がたくさん来たのかのほうが不思議だ。
バリクパパンから船をチャーターすれば直接アクセスできるというが、日本の旅行会社がそんなツアーを組んだのだろうか。それにしたって、そんなマイナーな旅行商品が売れるはずはない。たぶん石油、ガス、石炭の業界が華やかだったころ、業界内での口コミや優待で賑わったのでは?と勝手に憶測。
施設の実際の経営は全くの民間によるもので、国からの資本投入はないらしい。国がしているのは法律上の経営参加と規制だけだとぼやいていた。地方行政も同じ。実際はマレーシア人が出資して作った会社らしい。建物の設計やアクティビティの組み立てにはイギリス人のアドバイザーが加わったとか。
といっても、できるのはウミガメ見物とダイビングだけのようだ。私としては、森林見学もアクティビティの中に加えてほしい。インドネシアのこういう施設には決まって、パンフレットは無い。きれいな写真付の観光ガイドもマップもアクティビティメニューも無い。自分の意思無しに連れてこられると、自分がいったいどこにいるのか、今から何をすればいいのかすら、分からずに暮らすことになる。お決まりだ。
もっとも、保護区を利用したレクリエーションだから、あまり便利にしないほうが良いのかもしれない。へたに宣伝すれば日本人がどかどかやってきて滅茶苦茶になるかも?だが、今の日本人は行儀が良くなってきているというから、良いお客さんなのかも?どっちだろうか?






8時になって、ガイドと一緒に浜へでた。正にウミガメがごそごそと動いていた。穴を一生懸命掘って、卵を産んでいる。生み終わると、暫く休んで、卵を埋めて、再び海へ。卵から孵ったカメの子は見ることができなかった。見たカメは3頭。


施設とカメの見学を終えて9時。スピードボートでドゥラワンへ向かった。しかしライトは暗く、海面を照らしても見えない。しかも固定できないので、アブ先生が手に持っている。危険だ。モーターボートの夜間航行ははじめての経験。3回流木に激しくぶつかった。とたんに不安になった。衝突で船底が破けていないだろうか、スクリューが破損していないだろうか、またぶつかって大破しないだろうか、沈んだら泳いでいられるだろうか、ライフジャケットはないし、船の破片につかまっていればいいのだろうか、などといろいろ考え始めたが、考えているうちに着いた。
ドゥラワン島に着いたのは10時、船着場はダイバーのホテルになっていて、欧米人が結構いる。やはりみんな中年以上。若者はいない。ホテルと言うよりはロッジだろう。自炊しながら暮らしているのだと思う。
このロッジはフランス人の4人のグループが20,000ドルを出して、地元のインドネシア人が作ったのだという。ダイビング用品はパーフェクト。宿泊施設は地元の人が管理して、誰が利用してもよく、儲けは地元の人がとる。ダイビング用機材はレンタルでフランス人が管理し、レンタル料はフランス人がとる。20,000ドルの出資者であるフランス人は生涯利用無料。フランス人の関係者はディスカウントで利用料金を支払う。
上手い仕組みだ。利用の窓口はインドネシア人がするから、利用者は違和感無く接することができるし、村の人たちから敬遠されることもない。機材のメンテナンスや管理自体は、安全管理の意味もあり、難しいのでフランス人のグループが請け負う。地元にも金は落ちるし、フランス人も儲けながら遊べる。ただインドネシア人の利用者はいない。
2003年5月4日 (日)
ここは天国カカバン島/Heavenly island Kakaban

スピードボートで天国カカバン島へ/Going to Kakaban island by a speed boat




今日はブラオへ戻る船が来るまでの間に、カカバン島へ行くことになった。昨日と同じスピードボートに乗って出発。
カカバン島の海跡湖/Isolated marine lake in Kakaban island






着いてみると、なんとも美しいリーフ湾と湖。カカバン島はドーナツ型の島で、島の内側に大きな湖を持つ。 海岸から湖岸までは200mぐらいのものだろうか。その間は小高い丘になっている。太古の昔これがリーフの頂点だったに違いない。もちろんこの丘は石灰岩でできている。
カカバン島の森林/Forest in Kakaban island















島を一周するドーナツ型の陸地は海岸と湖岸の間の中央に丘ができていて、その丘には森林が成立している。そこにはかなり大きな木もある。丘の頂点に大きな木が多い。一番古い陸地だからだろうか。
カカバン島の植物/Plant on Kakaban island













頂点の海岸側は、明らかな海岸植生。同じ植生をフィリピンのパラワンにあるミニロックアイランドで見た。日本のアダンに似た植物が多い。石垣島と西表でよく見る光景だ。ついこの間、同じような光景を見たが、どこだったろうか?と考えてみると、ニュージーランドだ。ニュージーランドは熱帯ではないのに。
丘の湖側にはアダンに似たやつは少なく、硬い葉の樹木が森林を造っている。湖畔にはマングローブもあったが、全面的にマングローブではなさそうだ。
湖は塩水。石灰岩の丘だから、地下には穴が開いていて、海と繋がっているのだろう。魚も小さいのならいるそうだ。英語でFish Lake と名づけられている。ここも保護区で居住や伐採が禁じられている。湖の中で泳いだり遊んだりすることまでは制限されていない。カヌー遊びにはもってこいかも。自然観察の場としては、面白いことがたくさんありそうだ。
だれかが調査はしているのだろうが、この島の成り立ちや、植生、動物・・・いくらでもある。特に植生は丘の頂点を境に海側と湖畔側で違っているし、丘の頂点自体も違う。ここで調査ができれば楽しいだろう。
しかしとにかくなにより美しい。写真を撮るのにあくせくするよりこのまま景色を眺めてぼーっとしているのが一番。ディーシーティンバーのCAMPのあるスレイマン湾もきれいなところだったがこれほどではない。インドネシアにもこんなところがあるんだな。
ブラオへ向かう船の時間もあるし、名残惜しくも帰路につく。
ブラオ行の定期船の到着を待つ/Waiting for arrival of the liner to Berau









再びドゥラワン島について昼飯を食って、船着場で船を待つ。しかし…しかし…いつまでたっても船はこない。出発時刻を30分過ぎても1時間過ぎても来ない。待っていた客も一人、二人とあきらめて消えていく。どうも別の船を頼んで目的地へ行こうとしているらしい。ボートの親父らしき人がアブ先生に向かって声をかけている。ブラオまで行ってやるよといっているようだ。会話の中で「ウンパットプル」「ブカン」「ティダ ビサ」「ブラパ ジャム」だけが聞き取れる。
出発時刻を1時間過ぎたところで、アブ先生はもう船は来ないから、また泊まろうという。たぶんタラカンで、客が少なかったので、出航しなかったのだろうとか。さっきの親父との話はスピードボートが40馬力しかないから、いまから行くと遅くなるし、波を乗り切るのに危ないから、やめた。チャーターするのは明日の早朝にするのだとか。
こっちがただぼーっと待っている間、アブ先生はいろいろ考えていたのだろう。しかし、船はただ遅れているだけなのではないのか。インドネシアではそんなに簡単に公共交通機関の運行をやめてしまうのだろうか。みんなあまりにもあきらめが早い。自分ひとりならただただ待つのに。第一この船着場は涼しくてよい。
アブ先生は、宿に行こうという。来ないという情報もなにも無いのにそんなに簡単にあきらめるなよ、暑い宿にいくのはいやだな、ここにいようよとこころの中でつぶやきながら、従った。入った宿は今朝出た宿とは別。あそこは船着場からやたらに遠い。暑い中そんなに歩くのはいやなので近くにした。
ロスメンに入ったところでなにもすることはないし、やっぱり暑いし、寝るにも汗だくだし、とにかくロビーでコーラを飲んで、ロタンの椅子に座ってボー。アブ先生は部屋に入ってお祈りを始めた。きっとお祈りの後はいつもの通り昼寝だろう。
ぼーっとしていること10分ほどで眠くなり居眠りし始めた。時々自分のいびきが聞こえる。何分過ぎたか分からないが、そのうちどたどたという足音と大きな声1人前が通り過ぎた。エンジンの音が聞こえる。船がきたのだ。アブ先生は大慌てで飛び出してきた。行きましょうというが、寝ぼけ眼、本人はまさか船が来るとは思っていなかったらしく、荷物が散在、サルーン姿でうろうろするばかり。この光景には腹の底で大笑い。私の方はそのまま出れる。なんせ船が来ないことの方が信じられなかったのだから。アブ先生の荷づくろいを手伝って、走って船着場へ。暑い。汗だく。我々が乗り込むや否や、出航。3時30分。危なかった。やっぱり簡単にあきらめるもんじゃない。
ブラオには6時ごろ到着。下船するとイニフタニのスタッフが迎えに来ていて、またあのゲストハウスに連れていかれた。これはアブ先生も予定外。どうやらイニフタニにはアブ先生に注文したいことがあるようだ。
ゲストハウスにいると、アブ先生へイミグレーションから電話が入った。ビザの延長は簡単ではない、ジャカルタとの折衝が必要だとのこと。大変そうだからビザの期限どおり変えることにした。ビザの期限はたしか23日だったような。23日に出国して心残りにしていたダーウィンにいってみようか?
とりあえず日本に帰るころあいを日本の大先生に伝えなければと思い、電話した。電話では6日に帰ってこいと、イパン先生の件での指示があった。
サマリンダ帰還/Return to Samarinda
2003年5月5日 (月)



朝から、アブ先生はバイクを借りて飛行機の切符を買いに行った。戻ってきてから食事をしていると、イニフタニのスタッフが迎えに来て、アブ先生が連れて行かれた。コンサタントの仕事のようだ。一人残され、TVを観ながら出発時間を待つ。
サマリンダに戻る。どうやら、インドネシアの旅はこれで終わりのようだ。まだ、ジャワにもスマトラにもスラベシにも行っていない。まだ足りないが、これ以上はしかたない。
アブ先生ありがとう。