Borneo Indonesia
Samarinda 20021130
サマリンダでの暮らしと学び/
Learning with a living in Samarinda
サマリンダ到着/
Arrival to Samarinda

2002年11月30日(土)
いつもの通りの朝を過ごして、荷物を整理した。飛行機が午後なので、午前中は仮眠をとるなどゆっくりした。ホテルからはタクシーで空港へ向かう。荷物はタクシーいっぱい。
空港に着いても時間はたくさんある。この空港、ゲートにはいってしまうと、タバコを吸うところもない。
なにもすることもないし、バリで10$で買って、使わなかったテレホンカードのある事を思い出し、母親に電話してみることにした。この公衆電話は結構むずかしい。バリでは、カードを売ってくれたお兄さんが手伝ってくれたので、なんということもなかったが、いざ一人でやってみると、ダイヤルだけではかからない。ナンバーを全部押したあと、ダイヤルボタンとは別のところにあるボタンをおさなければならない。何度か試すうちにかかって、母親と話をしたが、元気そうなので安心。全部使い切ってきってしまった。
このテレホンカード、日本のものと違って、クレジットカード以上に丈夫にできている。曲げることもできない。ひょっとしたら、リチャージできるしろものなのかもしれないので捨てずにとっておこう。
バリクパパンへ出発。バリクパパンからサマリンダへはアブ先生の会社の車が迎えにきてくれていて、大量の荷物も運転手さんがせっせ、せっせと積んで、いざサマリンダへ。
途中5時ごろ、車はモスクのようなところへ寄った。お祈りなのだろう。ただ待っていると、食べ物を抱えて帰ってきて「ここは、ディシーティンバーのチェアマンの家です、かれはイスラム教の学校を経営しています、もう直ぐブカの時間になるので食べ物をいただいてきました」。そういえばもう、ブカの時間がやってくる。ブカというのはこんなときでも、決まった時刻にしなければいけないのか。
6時を回ったころ、ちょうどレストランの前を通ったので、ここで食事となった。スープとご飯をチャンプルで食べる。さっきもらった食料は?と思いきや、車が動くなりアブ先生ばくばく食べはじめた。ブカの時間厳守はアブ先生のためにあるような?。
サマリンダも正月前の混雑で、市内に入る手前から大渋滞。9時をすぎてやっと、中心部のホテルに着いた。有薗が待っていて、荷物の移動など手伝ってくれた。アブ先生は私を有薗に引き渡すような感じで、直ぐに帰った。
早速、運んできたものを分別して、御土産をトランクから出し、院生アリに確認してもらった。トランクの中身は、先生方にもってきたものばかりでぎゅうぎゅう、一度あけると二度と閉まらない気がして、途中絶対に開きたくなかったしろものだ。今日は一刻も早く開いてすっきりしたかった。分別がすんだらすっきりした。
インターネットの接続設定のメモを院生アリからもらって、今日はお休み。

2002年12月1日(日)
サマリンダに来てもラマダンは続いている。このホテルの窓の外には、直ぐそこに大きなモスクが見える。夜もライトアップされているので良く分かる。3時には直ぐそこから大音量のコーランが響きわたった。アブ先生が一緒ではないので、超早朝の食事は無いが、この時間に起きる習慣は続きそうだ。
日が昇るころ再び起きて、マンディ、今日からは一人で朝食だ。ホテルのレストランへいってみると、バイキング形式になっていた。そこには、おかゆ、ナシゴレン、ミーゴレン、パン、フルーツ、コピ、テーが並んでいた。とうとうナシゴレンとミーゴレンに出会った。ここではこれを食べるか。ナシゴレンとミーゴレンと辛いソースをちょっとつけてとり、平らげたあとは、フルーツとコピをとった。特に美味しいわけではなかったが、美味しくないというわけでもない。今まで美味しいものにありつきすぎた。まずまずの食事だと思う。
アブ先生自身が車で迎えにきてくれて、大家さんの家に行って、挨拶。下宿先は院生アリと同じ家で彼が迎えてくれた。大家さんに部屋をみてほしいとのことで案内された。大家さんの心配と彼の心配は一致していて、アリの部屋より狭い部屋に先生を住まわせてよいものだろうかと……部屋を交換したほうが良いのではないか……ということだった。交換なんて面倒くさいし、アリの部屋にもいろいろ納まっていて動かすのは大変そうだし、私にしてみれば、狭い部屋で十分なのだ。それに、ベランダがついいて、タバコも吸いやすい。「No problem」のひとことで、大家さんもアリも一安心の顔つきだった。
アブ先生の家に行った。院生アリも来た。まずは奥様に再会し、到着の挨拶をした。といっても日本で2度ぐらい1分ずつしか会っていないので、ご本人は私のことを覚えているはずはない。お会いしてみると、私は思い出した。
早速、トモとカナからあずかった御土産と、「ひよこ」を渡した。ひよこの言葉を聴いてか奥様大騒ぎ、「たけし、きいた?だめ、アリ」と日本語で言っている。「これはカナとコバに聞いていました、アリからひよこのことは聞いていません」…とにかく奥様は「ひよこ」が大好きで、それをアリにも話していたらしい。
トモとカナの御土産はなんだったのかしらないけれど、奥の部屋から「アパ、アパ、ハハハ」楽しそうな若い女性の声が4人分聞こえた。そのうち1人は奥様らしいが、みなさん御土産に喜んでいる様子なので、預かってきた甲斐があり嬉しくなった。
昼食をご馳走になって、いろいろ話しているうちに、今日やることは、電話機のSIMカードを買うことだということになった。
日本から持ってきたSIMは、スイスのSIMで、国際電話をかけるには、割安らしいが、インドネシア国内のアブ先生や有薗にかけても同じ金を取られる。ましてや、着信にまで金をとられ、残り度数がどんどん減るありさま。
これは、インドネシア国外へ出たときに使えばいい。とにかく国内で普通使われているものに変えるのが一番。というところまでは分かったが、実際に何を買えばいいのかアブ先生も自信なさげな顔。「娘さんたちに聞いてみればわかりますよ」と、お願いすると、さすが女性軍「xxxxx」みんなで声をそろえて答えが返ってきた。
マタハリというショッピングセンターへいくことになり、いってみると、歳末大売り出しの真最中。SIMカードも、ショッピングセンター入り口に仮設のTELKOMの出店が作られていて、そこで安売りされていた。目的のものを、30万Rpで買って完了。そのほかにもなにか買い物をとスーパーの中へ入って、電源の三又プラグ、シャンプー、果物ナイフを買ってもらった。
ホテルに戻ると、アブ先生は院生アリを残して直ぐ帰った。そういえばブカの時間が近いし。それだけではなく、正月前一週間も私の世話ばかりして、家の仕事もあるのだろう。サマリンダに帰ったら、とにかく家にはやく戻る。院生アリも下宿の食事の時刻が気になる様子。今晩は一人で食事をとることにして、彼を帰した。
食事をとりにホテルの食堂へいってみたら、客も従業員もだれもいない。実際食事ができるかどうかもわからないので、外にでてみることにした。ぶらぶらと通りに出て行くと、100mも歩かないうちに、やたらとにぎやかなところへ出た。よくみると、昼間いったショッピングセンターに似た建物がある。建物の前の通り沿いにも屋台が立ち並び、人がごった返している。建物に入ると、さらに人であふれかえっている。日曜日のせいなのか、正月前のせいなのかすごい賑わいだ。名前はヘロー。
全部見物してみようと建物の中を一回りした。1階にはスーパーと専門店、ファーストフード店があり、2階にもコーヒーショップと専門店、本屋もここにある、3階は専門店だけ、4階はゲームなどの遊技場だった。やたらに売っているのが、携帯電話と携帯電話のケース。もうひとつ目立つのが時計。どの階にも、どのフロアにもこれらを売る店が何軒もある。
折角だからスーパーにはいってみよう。ほしいものがまた少し沸いてきた。体を洗うためのタオルがほしいのだが、日本でいつも使うサイズのものが見当たらない。それはまたにしてサンダルとお菓子とコーラを買ってみた。スーパーのそばにドーナツ屋があったのでこれも買ってみた。晩飯もドーナツで済ませようかと思い始めたのだが、直ぐそばに、ファーストフードの店があり、客がヌードルを注文しているのを見てこれがほしくなった。なんていえばいいのか分からないので、ほしいものを指さして「サトゥ」といったら、出てきた。晩飯完了。デザートとおやつはホテルで。
ホテルに戻り、おやつを食べながら、インターネットをためしてみるが繋がらない。院生アリがくれた設定ではTELKOMNETに繋ぐことになっているが、その番号へ発信できない。しかたがないので、東京のNIFTYに繋いでみると、あっさり繋がる。メールをチェックして、パソコンの設定は、今日はおしまい。
電話機もSIMカードを変えたので、設定を変えなければいけない。いろいろ設定操作をしたり、電話をかけてみたりしていたら、突然電話がアラーム音を出して使えなくなった。壊れたと思いきや、30万Rp分のSIMの残り度数がなくなっていたのだ。なぜなくなったのかなあ?あれこれ考えたあげく、多分、フリーダイヤルへ長い時間繋いで接続設定をしたとき、実はフリーダイヤルではなかったのでは・・・・ということ気づいた。この電話代、1時間ぐらいだから、フリーダイヤルでないとすると国際電話になっているから、2,000円ぐらい。家と友達に電話したから1000円は使ったか。とすれば無くなって当たり前。
なんとばかばかしい。明日また、マタハリへいってSIMのリチャージをしなければならない。くやしくて眠れないかも、と思ったとたん寝ていたようだ。
ホテル住まい/
Staying at the Hotel
2002年12月2日(月)
ホテルの朝食は昨日と違うのかなと期待しながら、食堂へ。ビュッヘの配列は、一見昨日と一緒。昨日はたしか、おかゆ、ナシゴレン、ミーゴレン……今朝はミーゴレンでなくてビーフンだ。これは好物なので、ちょっと余計にとってしまった。それから、パン、フルーツ……おっ、ドーナツが増えている、これもとってみよう。あとはコピ、テー、今日もコピを選択。結局一人で食べても量を減らしていない。問題だ。
運転手のパルディさんがホテルに迎えに来て、「セラマットパギー、キタイ」「セラマットパギー」と挨拶を交わしたあとは、手振り身振りのコミュニュケーションしかできない。車が着いたところは大学。アブ先生の授業風景をのぞく。これは予定外、運転手のパルディさんが間違えたたらしい。本来の約束の場所、アブ先生の会社の事務所へいって授業の終わるのを待つ。今日からはサマリンダのお役所めぐり。「一番大事なのはイミグレーション」とアブ先生。
最初に、イミグレーションのサマリンダ事務所へいった。手続きしようとするが、大学からの身元引き受け状が必要のようで、今日は手続きが完了できないことが判明した。
アブ先生が担当官に作るべき書状のフォームを聞いて、有薗に書類を作るよう指示していた。アリもインドネシア語ができるようになったんだなと、ちょっと感心。 次に警察署。イミグレイションの手続きが完了しないので、警察にいっても意味がないはずだが、アブ先生の根回しのようだ。様子をみていると、書類作りが進んでいる。イミグレイションから警察あての書類がくることを前提に準備を頼んだようだ。
「LIPIからの案内には大学からの書状が必要とは書いていない、地方の役所には地方のやり方があるそうです」とアブ先生はややむくれ気味。大変だな…「私のために大変ですね、ありがとうございます」。今日の役所回りは終了。
マタハリへいって電話機のカウントを100万Rp分リチャージした。そのあとはホテルへ戻って、休息。2時間ほどアブ先生は、アグロフォレストリーについて熱弁した後帰った。
ホテルの売店にいって、缶コーヒーとタバコを買ってみた。この売店の女性、なんだか日本にいる学生アキにそっくりだ。こっちへきてから、いろんな人に出会うたびに、この人は日本の誰かに似てるなと良く感ずる。この女性は声まで学生アキに似ている。
部屋にもどって、缶コーヒーを飲んでいると、有薗がやってきた。有薗にこのホテルからTELKOMNETには繋ぐことができないと伝えるが、繋がらないものはしかたない。
大先生は別のブロバイダをつかっていたはずだが、その番号を調べてほしいと頼んだ。アリも納得いかないようで、自分で設定しなおしてやってみたり、TELKOMNETへ電話をかけたりしてみたりしてくれたが、らちがあかない。第一から、ホテルの電話システムが、番号を押している途中でツー、ツー、ツーになるのだから、ホテルからはかけられないのだ。日本語で日本人に説明しても、良くわかってもらえないのだから、ここではだれにも理解してもらえないだろう。
あきらめて、niftyとbiglobeの海外ローミングサービスについて調べてもらうことにした。インターネットの件はまた明日。
「私も断食をしているんですけど、ところで先生は昼ごはんを食べていらっしゃるのですか?」とアリ、「いや、このところ食べていない、みんなラマダンだから、あわせて食べるのをやめた、というより食べすぎだから、昼は控えることにした」。そういえばサンバス先生の家を出てから、昼食はとっていない。「大丈夫ですか?」「大丈夫もなにも、俺だけ昼飯まで食べさせられていたら、逆に死んでしまう」。
夕食も、一人でとることにして、アリを帰した。また、町へ、ドーナツとコーラを買って夕食にすることにした。
2002年12月3日(火)
ホテルの朝食バイキングは、おかゆ、ナシゴレン、ミーゴレンの組み合わせに戻った。どうもミーゴレンとビーフンは1日交替のようだ。ドーナツとゼリーのようなデザートも1日交替。あとは、パン、フルーツ、飲み物。それぞれ少しずつとって、コピを選択。
まずムラワルマン大学へ、ワワン先生と会う。再会の挨拶一番に、「どうしましたか?大きくなりましたね」と腹のあたりが膨らんだゼスチャーをされたので、「食事があまり美味しいのでインドネシアきて太りました」と答えた。ワワン学部長に昨日あらかじめ院生アリが作っていたのであろうと思われるムラワルマン大学からイミグレーションあての書状にサインしていただいた。
昨日に続いてイミグレーションへ行き、手続きを進めた。今日は指紋押捺、10本の指の指紋を1枚の用紙に2回ずつ、用紙2枚分、合計4回取られた。指は真っ黒。パスポートを預けて、書類は明日できるそうだ。
警察への手続きは今日も進めることができない。しかし、警察へ向かった。一旦アブ先生の家に寄り、娘さんを乗せた。 「ついでに自動車の免許証を作りましょう、日本の免許証ありますか」「何のついでなの?、日本の免許証を出してもだめじゃないの、国際免許はもっていますよ」「じゃぁ、両方出してください、国際免許はインドネシアでは使えません、インドネシアの免許証を作ります」。フォームシートにいろんなことを書いて、日本の免許証と、国際免許証を提示して、写真をとって、ほどなく免許証が出来上がってしまった。
実はアブ先生の娘さんもこの日一緒に免許証取得。「ついでに」と言うのは、「娘の免許を取りに行くからついでにキタイさんのも作りましょう」という「ついで」のことだった。娘さん、免許が出来上がったらなにかふくれっつらで叫んでいる。免許証に男と表示されていたのだ。あわてて、アブ先生の知り合いの警察官が事務所にそれを持っていったが15分ほどで、訂正版もできあがり。本人にこにこ。めでたし、めでたし。
ホテルに戻ると、インターネットの件で大騒ぎになってしまった。アブ先生にしてみれば、インターネットができるとういうことで用意しておいたホテルらしいので、それができないと言ったものだから、一生懸命だった。ホテル内1階にあるレンタルインターネットの店にいったり、フロントとかけあったりしていた。しかし、アブ先生も対応する従業員も実際に分かる人ではないので、話ばかり。ホテルからインターネットはできるという結論になっていて、私の言ってることは分かってくれない。
やっと、精通している従業員がでてきて有薗に説明させ、部屋に来てもらうことにした。アブ先生はこれで解決したのだろうと、帰ってしまった。
従業員に設定してもらい、接続しようとするが、できない。やってることは、すでに私がやってきたことと同じだから当たり前。今度は、下のレンタルインターネットの店にいってMEGAネットとの接続を試みようとするが、店の責任者にできないといわれた。
結局できなかった。ホテルの電話システムがこの前新しくなり、一般電話と料金体系の異なるフリーダイヤルには接続できないようにしてあるのでTELKOMNETには電話自体がかからない。メガネットというブロバイダへは、電話システム更新以降ホテルから接続できていない。ということだった。あきらめるよりしかたない。しかし、ホテルもメガネットもやる気あるのかな?それよりこんな客は他にいないのかな?
有薗がアブ先生の家に行かなければ行けないので、帰すことにした。有薗の出たちょっと後にホテルを出ようとしたら、車が1台止まっていて、大騒ぎしている。アブ先生の車だ。有薗を迎えにきたのかと運転席をのぞいてみたら、なんと今日免許をとったばかりの娘さんだった。みんなで記念ドライブがてら迎えにきたらしい。ぎこちない発進を見送った。この国の運転免許制度ってどうなっているのかな?
なんだかインターネット騒ぎで疲れたので、スーパーまでいけず、直ぐ近くの露店でコーラとタバコを買って部屋に戻った。夕食はルームサービスで済ませようとしたが、そのまま寝てしまった。インターネットに繋げられるホテルに変えてもらおうかな。
ラマダン明け/
Lebaran

2002年12月4日(水)
朝6:00に起きてマンディ、6:30に食事をとり、食後の散歩をする習慣がついた。散歩は太りすぎ予防の気休め。しかし面白い。正月前だからだろう、朝から市場には活気がある。きれいな花や、果物、見ても分からないが珍しそうな食べ物、生きたままの鶏、干し魚などなど。年末のアメ横といった感じだ。とにかくまっすぐには歩けない。





籐(トウ)の組織培養/Tissue culture of rattan


まず、銀行へ行き、お金を引き出した。下宿の家賃用。6ヶ月分の家賃とクーラーの取り付け費用、電話代のデポシット分を合わせて、700万Rp。食事代、洗濯代、などは後で払い、とりあえずまとめて払える分をアブ先生に渡すことにした。
といっても、これが10万Rp札で70枚だから大変だ。ATMでしか引き出せないので、やってみると、ここでは目的の札ごとに機械が違っていて、1回の引き出し額の上限もあり面倒くさい。10万Rp札専用の機械で、200万Rp引き出しを3回、100万Rp引き出しを1回、自分の小遣い用に2万Rp専用の機械に変えて、20万Rp引き出しを1回やった。札の数は全部で80枚。札束だ。財布には入らない。 このうち10万Rp札70枚をアブ先生に渡した。アブ先生も細かい金をたくさん引き出してかばんの中に入れていた。これでは私の金を渡されたアブ先生も困るので、大家さんの口座に送金してもらった。
ムラワルマン大学へ、大学は正月前の休みに入ったのだそうだが、人はたくさんいる。
アブ先生のオフィスへいく途中、スラマト先生に会う。ご年輩の先生で、日本語で話したがるのだが、単語の連発、「おはようございます、ありがとう、島根大学、論博、京都大学、日本語わすれました、わかりました、本江先生、片岡先生、お元気ですか」わかるわけはないんだが、おそらく島根大学で勉強して、論文博士を京都大学でとったということだろう。大先生も先代大先生も良く知っているようだ。院生アリの所属する大学院の主任教授だそうだ。
アブ先生のオフィスへいって、皆さんへ一応のご挨拶。アブ先生のデスクはここにはない。部屋は若い先生にゆずって、自分は会社のオフィスを研究室代わりに使っているそうだ。
「アリさんのロタンのティシューカルチャーを見に行きましょう」といわれ、ネルマラ先生の研究室へ行った。そこには有薗がいて、組織培養の面倒をネルマラ先生に見ていただいているとのことだ。ネルマラ先生は女性の先生で、バナナや野菜のティシューカルチャーが得意なのだそうだ。日本から持って来たものを渡さなければならない先生であることに気づかずに、挨拶だけになってしまった。
有薗の組織培養を見るが、あまりうまくいってないと本人は言う。というよりこれはむずかしい。ネルマラ先生の設計では、成長点-カルス-植物体形成-苗の作出が目標らいしい。有薗が今植えつけているのは、ロタンのシュートの先端で、一応大きな葉は剥いてあるが、先端を包んでいる小さな葉をつけたままなので、成長点だけにはなっていない。きっとこれでは滅菌がうまくいかないのではと思った。
聞いてみると小さな葉が開きはじめるころ雑菌が繁殖し始めるそうだ。「もっと剥いてしまえばいいのに」といってみると、「剥きすぎると、すぐ枯れてしまいます」だそうだ。 滅菌の度合いで解決できないのだろうか?と思ったが、あまりごちゃごちゃ言えばネルマラ先生の指導の邪魔になるし、「頑張れ」だけ言って終わりにした。
アブ先生の会社のオフィスに向かった。ここには、会社の人はもちろん、アブ先生の指導する学生がいる。みんな正月のために田舎に帰る前だとか。カリマンタンのいろいろなところからやってきているようだ。
アブ先生はかばんの中から大量の紙幣をとり出し、いくつもの新しい封筒に小分け入れていた。あまり大きな金額ではないようだが、この封筒をたくさんたくさん作って、みんなに一人、一人、一言ずついいながら渡していた。これも挨拶の風習なのだろう。日本のお年玉に似た感じがする。 今度はイミグレイションへ。パスポートと外国人登録証と書類をもらって、警察へ。警察でも指紋押捺を済ませ、手続き完了かと思いきや、再びイミグレイションへ戻って、報告。次は、バリクパパンの警察へいって書類を受け取らなければならないそうだ。お役所回りはまだまだ続く。そういえば、「市役所がまだですよ」とアブ先生に伝えると、「そこは、最後でいいです、知り合いがやってくれます、正月あけにしましょう」と人任せ。
その後も、アブ先生の正月前の挨拶回りのため、あちこちとサマリンダ中を走り回った。挨拶のたびに例の封筒を渡していたようだった。
やっとホテルに戻ると、正月談義。実は、イスラムの正月は何日からとは決まっていないそうだ。正月にするかどうかは今晩の天体観測で決まるという。イスラムの観測者が世界各地にいて、今晩が新月かどうかを判定してきめるのだそうだ。「ぴったり新月かどうかなんて、国によって相当違うんじゃないの?」「だから、自分の信ずる情報を聞いて、自分できめる」「どうやって情報をとるの?」「テレビは一晩中やっている、テレビがいろいろな地域の情報を伝える」・・・・・
正確な意味はわからないままだったが、とにかく明日が正月かどうかは、アブ先生自身がきめるのだということが分かった。
インターネットのブロバイダ接続はもうあきらめ、シンガポールの日本のローミングサービスに国際電話をかけてメールを読み書きするだけにした。東京へかけるより、ちょっとは安いのだろう。
ウリン(テツボク)のフローリング/
Ulin Flooring


2002年12月5日(木)
アブ先生が朝、イスラムの白い服を着て、ホテルにいきなり現れた。アブ先生は今日から正月だそうだ。
早速正月の挨拶回りに同行。先輩の先生方はみんなアブ先生と同じ住宅地に住んでいる。しかしほかの人はまだ正月ではないみたい。昨日教えられたように人によってちがうらしい。そういえばモスクからは今朝も3時にコーランが流れていた。サマリンダのモスクは正月ではないということになる。
正月のご飯を食べにアブ先生の家へ。ご飯の代わりにちまきがある。これにスープやおかずをかけて食べる。このちまき、味がないので物足りない。苦手な食べ物になりそうだ。ほかに正月らしいものは特にみあたらない。デザートやお菓子がいつもよりたくさんあってにぎやかなのが少し違うかな。アブ先生に勧められたのは、カシューナッツ。「これは美味しいよ、私のお母さんがつくった」という。食べてみるとたしかにおいしい。日本で食べるものとは違い、味がついている。これは止まらない。
これから一緒にサマリンダに住んでいる弟さんの家に行くという。体のがっしりした弟さんで木材の商売をしているとのこと。詳しくきくと製材業とその販売業らしい。今はテツボクのフローリングを扱っている。工場へいってみようということになり、サマリンダ郊外で、マハカム川とサマリンダの市街を一望する高台に建つフローリング工場を訪問した。







テツボクの細長い板が無造作に積み上げてある。板にする製材はマハカム川の上流にある別の製材所でやって、ここへは板だけが運ばれ、フローリングサイズにカットすることとカンナがけをするとのことだった。日本のフローリング工場と同じような機械がおいてあったが、日本のは高くて買えないとか、中国製を使っているそうだ。
「どうだ、これを日本へもっていってビジネスしなか」といわれたが、売り先も知らないし「後で、本江先生に売ってみよう」とアブ先生に答えておいた。花鳥山脈の小屋にいいかもしれない。残念ながら屋根材は今持っていないそうだ。屋根材はあの小屋に必要なのに。フローリングと壁板ならたくさん作れるから日本で売ってくれと、最後まで切望された。
ラマダン明けの挨拶まわり/
Hari Raya greeting tour
さらにもう一人の弟さんの家に行くという。いってみるとこの弟さんは背が高くハンサムな人で、日本の俳優…そうそう草刈正夫に似ている。このお宅では昼ごはんをいただいた。しかし、たべているのは私たちだけ、このお宅もまだ正月ではないようだ。
料理はヤギのカレースープにちまき。またちまきだ。すでに苦手感覚、あまり美味しくない。アブ先生はバクバク食っている。ご飯にカレースープなら美味しく食べれるのにと、嘆いてみて気づいた。このちまきもとのご飯のように崩してしまえばと思い、スープの中で小さくしてかき混ぜてみた。これなら食える。しかもうまい。本当はこうして食べるものでは?とアブ先生の食べ方を見てみたが、大きいままバクバク食っていた。
今日の訪問ツアーはこれで終わり。インターネットが使えるホテルに変えてほしいとアブ先生に頼むと、インターナショナルホテルメスラへ行ってくれた。なんでもプールもあるし、テニスコート、ゴルフ練習場もあるとか。高台の上にあり眺めもよい。しかし料金は今のホテルの1.5倍。しかし、インターネット接続に国際電話料金を支払うことを考えれば、同じことかも。9~13日は旅行の予定なので、14日から4日間の予約をとって、ホテルに戻った。
「夜一緒に食事しよう、迎えにくるから」といって、ホテルで車を降ろされ、ホテルで休憩。
夜再び、部屋まで迎えに来てくれて、歩いて外へ出た。ホテルの周りはいろいろな食べ物屋や、屋台があり面白いが、一人では店に入った時の注文と支払いの煩わしさがあって、なかなか入る気にならなかった。
入ったのは、スマトラ料理の店。店の人になにか一言言うと、10品以上、テーブルからはみ出しそうなくらい、皿を重ねながらどんどん出てくる。「こんなに食べれないでしょ、3時にあんなに食べたのに、いつこんなにたのんだの?」「今」「一言しか言ってないでしょ」「一言で全部全部出てきます」「全部食べるの」「食べたいものを自分で選んでください、全部は食べられないよ」「ふーん」。 たのむととにかく、店にある全部の種類の料理がテーブルにならび、客はそれを選んで食べ、店の人は食べた皿の数を数えて、代金を請求する仕組みなのだ。スマトラ料理も結局チャンプルにして食べる。基本的なインドネシア料理のひとつ。野菜、魚、鳥、スープなんでもある。牛の脳みそもある。食べてみようと、ちょっと思ったが、まだ腹が膨れて収まらない状態だったので、今日は遠慮した。 今日は朝から食べ続け。運動をしなくては。ホテルに帰って、腕立て伏せと腹筋と体操をした。
2002年12月6日(金)
3時にコーランは流れなかった。しかし、6時にコーランが響き渡った。
今日からはどこもだれもが正月。ホテルの朝食も正月バージョンだった。ナシゴレンもミーゴレンもパンもなく、ちまきと白いご飯と3種類のスープがあって、インドネシア料理になっていた。フルーツもいつもあるスイカとパパイヤのほかにマンゴーが加わった。その隣には、ゼリーが2種類。豪華なケーキも並べてある。
朝の町は静かだ。市場も昨日の活気と騒々しさとはちょっと違う。タバコや新聞を売る露天は休んでいるし、朝早くから開いていた店も今日は閉まっている。タバコが買えない。町を一回りすると、1軒だけあいている。タバコを買ってみると、この店はやたら安い。6500Rp。店の人は中国系のようだから、イスラムではないのだろう。この店は正月ではないようだ。 ホテルの売店は休み。レンタルインターネットの店も休み。ここは普段24時間営業なのに、今日ばかりは休みらしい。借りてみようと思ってよったのだが仕方がない。 アブ先生は学生が挨拶に来るので昼間までこない。ひまになった。日記でも書こうか。
昼まで来ないはずのアブ先生が9時ごろ来た。「大家さんに挨拶に行かなければ」ということで、早速出かけた。途中御土産を買わなければと、市場で果物を買った。「御土産は果物が一番です」だそうだ。
ついでに「ホテルでマンゴー」といわれ、ジャワ産のマンゴーを6個とカリマンタン産のマンゴーを3個買ってもらった。「こんなには食べられない」といえば「私も手伝います」。
大家さんの家も正月でたいへんなはずだが、いってみると、がらんとしていて、イブリスナーとアブ先生が話をしている。「病院へいきます」「病院?」「孫が入院しているので挨拶は病院にいきます」「??????」。どうもわからない、行っていいものなの?
病院についてみると、お孫さんの病室にルスリーさん一族が集まって朗らかに語り合っている。風邪をひいたらしく点滴を打たれてじっとしているが、笑っている。お見舞いがてらの正月のご挨拶となった。一族のみなさんの中に入って、アクアという名のミネラルウォーターとたくさん並べられたクッキーを、日本語で「どうぞ、どうぞ」と勧められるままに戴いて、「お大事に」をアブ先生に通訳してもらって引き上げた。
ホテルに戻ると、アブ先生は私の部屋でお祈り。お祈りが終わると「今日も明日もお休みしてください、夕方また来ます」といって帰ってしまった。
昼食がまだなので、ホテルの外に出て適当な店にはいってみようと思ったが、ほとんど休み。スーパーは開いていたので、コーラと水とお菓子とドーナツを買って帰った。昼はこのドーナツと買ってもらったマンゴーで済ませようと、食べてコーラを飲んだらずいぶんと腹が膨れた。
ラマダンも終わったのだから、これからは毎日みんなと昼食をとらなければならない。気をつけないと持ってきたズボンがはけなくなる。あわてて食後に腹筋運動と腕立て伏せをはじめた。
夕方アブ先生が迎えに来て、家まで連れていかれた。家に着くと、お隣のご夫妻がやってきた。ご近所の方だからもちろんムラワルマン大学の先生だ。奥様とこのご夫妻とで外へ食べにいくとのことで、ヤギの焼き鳥の店にいった。
そういえば、サマリンダにきてあの焼き鳥を買うには、数を言うだけで買えますかと、尋ねたことがある。そのときは「買えます、でもキタイ先生はまだやめた方がいいね」と一蹴された。それで、連れてきてくれたのだろう。またまた腹いっぱい食べてしまった。
2002年12月7日(土)
静かな正月が続く、今朝もホテルの食事は正月バージョン。1日ホテルでのんびりしていた。
今日はレンタルインターネットの店が開いていたので、レンタルしてみた。借りたいというだけでも、おおごとだったが、とりあえずPCの前に座らされて、接続してもらった。しかし、インドネシア語の表示しかない。検索エンジンのスタイルだけは分かるのでyhooを検索して、英語に切り替える。
日本のサイトを出してみようと試みたが、英語ではなかなかたどりつかない。もちろんホームページの日本語は文字化けしてしまうし、意外に英語版のサイトを持っていないところも多い。こういうところは検索結果そのものが化けているから、何のサイトかわからない。インドネシアのサイトなら英語もあるかなと思って電話やブロバイダについて検索するが、やはり英語バージョンがほとんどなく、あってもページの紹介程度しかみれない。いじくりまわしたあげく、何も得られないまま時間だけが過ぎた。1時間10,000Rp。
腹具合の関係で昼食事抜き。食事を取らずに、日記を書いていたら、アブ先生がやってきて、「マンゴーを食べましょう」。
まずジャワ産のマンゴーから、「ジャワのマンゴーは美味しいよ、剥きかたはこうする」と剥いてくれた。皮を剥くのではなく。皮の着いたままカットして、皮から切り離さずに内側から豆腐をさいの目に切るように包丁をいれ、渡してくれた。そういえば、大先生が同じようにしてみんなにマンゴーを食べさせていたことがあったような。食べやすい。
次にカリマンタン産のマンゴー、「これは、ちょっと味が落ちます」。皮を徐々に剥いて、裸になった実を取りやすいようにカットしてくれた。小さいのと皮の付近が食べれないので、皮付きでとるのが難しいからだろう。味が落ちるというより、甘みがすくなく酸味がつよい。
夕方、リヤント先生が在宅とのことで、あわててお土産を持って、お宅に向かう。本江先生の加わったプロジェクトの運用のお手伝いがありましたら、お申し付けください。本江先生に連絡を取って、時間のある限りお手伝いいたします。これを言わなければ成らないが、日本語で話してもむずかしい話だ。アブ先生に何度も説明して、意見も聞いて、確認してから、お宅のベルを鳴らした。一応の挨拶と、御土産をお渡しした後、アブ先生に説明していただいた。後は、アブ先生任せ。何が起きても、わけの分からない私が口を出すよりまともなはずだ。ところが、早速リクエストが出てきて、時間の許す範囲で対応しますとアブ先生に答えていただいたようだ。とりあえず一安心。日本の大先生に連絡しなければ。電話してみるが、通じない。たしか今日は忙しい日だったような。あとでメールを出しておこう。
「一緒に食事をしよう」とそのままアブ先生の家に行くと、奥様が待っていて一緒にでかけるとのこと。「外でご飯を食べると、肉を食べすぎて体に悪いから、家内が見にきた、今日は野菜を食べましょう」。アブ先生と私の外食の健康管理が奥様の目的らしい。
今日はどこも開いていない。お目当てだった、野菜の美味しいという店も休み。車でさんざん探し回ったが、中国系の店が開いていたので、そこにはいった。
野菜スープとご飯が今日の注文。飲みものはすぐにでてきたが、料理がなかなかでてこない。いままでにこにこ話をしていた奥様が突然「xxxxxx!!xxxxx!! xx!!」。すごい調子で後ろを振り向いて怒鳴りちらし、また前をむくとまたにこにこしていた。これがインドネシアの女性なのか?奥様の特徴なのか?ちょっと戸惑い。店のお兄さんが大あわてで料理を運んできた。
このところ、食べ続けの毎日。しかし、量を抑えてとるようになったので、少し落ちついてきた。
2002年12月8日(日)
朝のホテルの食事が元に戻った。2日間の正月料理だけだった。ナシゴレンとビーフンを少しずつ食べた。
明日から旅行なので、ホテルを引き上げる準備。日本からもってきた御土産類を出すため、トランクを開けたので、元に戻さなければ。アブ先生に渡したはずのものも、まだホテルにある。洗濯物は毎日ハンカチ、パンツまで全部ホテルに出して、その日のうちに戻ってきているから完璧。今日着ているものを明日も着て、着替えを2組持って、あとはトランクへ、といっても1組しかない。
昼は、買ってもらったマンゴーを食べてしまわなければいけないのと、自分で買ったお菓子があるので、これで済ませた。コーラも水も残っている。飲んでしまわなければ。
有薗がきたので、ネルマラ先生、ジャバール先生、チャンドラ先生に渡すものをそれぞれ袋にいれて預けることにした。
夕方、ネルマラ先生在宅との連絡があり、アブ先生と、アリとでネルマラ先生宅の訪問を済ませ、大先生から預かってきたものを渡してきた。なんだか実験用具より、カサのことを気にしていたようで、大変な喜びようだった。
ホテルに戻り、アブ先生のお宅へトランクとアブ先生用に持ってきたものを運んでもらった。1週間暮らしていたので、広がった荷物を片付けてしまったら、なにやらすっきりしてしまった。
晩飯も、マンゴーと残りのお菓子とコーラ、コピが飲みたくなってルームサービスに頼んだ。明日からは3食アブ先生と一緒。少食につとめた。
サマリンダ近郊の多様な地層/
Various strata in the suburbs of Samarinda



