Borneo Indonesia
Samarinda 20021213
サマリンダでの暮らしと学び/
Learning with a living in Samarinda
ホテルメスラ/
Mesra Business & Resort Hotel
2002年12月13日(金)
今日は一日休み。朝のホテルのバイキングは前のホテルと違ってたくさんの料理が並んでいる。ナシもナシゴレンもナシクアもミークアもミーゴレンも肉も惣菜もスープなんでもある。しかもその場でシェフが卵焼きか目玉焼きを作ってくれる。日本のホテルの朝食では見たことが無い。ディナーのようだ。しかも相当美味い。朝に1日分食べてしまった方がよさそうだ。これはサマリンダのお気に入りホテルになりそう。
一日中ホテルにいることになるので、ホテルの中を一周してみた。このホテルはプールもある。プールわきにはカフェテラスがある。テラスでコピを注文して飲んだ。しかし、これは美味くない。インドネシアのコピは今まで飲み続けてきたし、マレーシアでも飲んだことがあるし、日本でもお土産に持ってきてくれたものを何度も飲んだことがあるが、最も美味くない類のものだ。ほかの料理は美味いのに。しかもポットで出てくるので、大きなカップに4杯分はある。飲み干すのには1時間ぐらいかかりそうだ。
突然有薗がやってきて、ホテルにジャバール先生と、チャンドラ先生が来てくれるという。本当ならこっちからたずねなければいけないのに。しかし、懸案の問題が一挙に片付くのでありがたいことだ。一人ずつお見えになって、いろいろと話をして帰っていった。
ジャバール先生は、まだ日本語が上手で、有薗の通訳は必要なかった。もっとも難しい話はなく、気軽な会話だけだったので神経を使う必要がない。ただ、ジャバール先生には持ってこれなかったものがあって、後で日本から送ってくるから待ってくださいと伝えると、ちょっと残念そうな顔をしていた。きっと待ちかねていたのに違いない。
チャンドラ先生は、日本語ができない。ヨーロッパへ留学していたのだとか。本江先生を頼ってこられる人は、日本への留学経験のある人ばかりだと思っていたが、こういう人もいる。初めは英語で話していたが、とうとう面倒になって、有薗に通訳してもらった。途中でアブ先生がやってきて、3人でインドネシア語で盛んにしゃべりだし、ひとり取り残されてしまった。何の話かも分からずボーっとしていると、数十分後にはみんな帰った。
これで日本から持ってきた御土産類は全部渡したことになる。ほっとした。
夕食はホテルで一人で食べることにして、レストランへ行って、鳥のスープとナシとコピを注文。メニューを見るとインドネシアのコピのほかにネスカフェがあったことに気づいたがすでに遅し、この美味くないやつを飲まなければいけないのか。しまった。
そのコピが一番最初にでてきた。大きなポットのコピとチャック付きポリ袋に入った砂糖4つとミルクの入ったこれまた大きなポット。なにが美味くないのかといえば濃すぎる。俺が濃いといってるのだから普通の日本人には飲めないしろものだなきっと。それで、入れられるだけのミルクと砂糖を入れて飲んでみた。これでやっと濃すぎる状態から開放された。しかし、4杯は飲めない。これが本物のインドネシアコーヒーなのかもしれない。
食事のスープはとてつもなく美味しいものだった。スープだけで飲んで美味しく、これをご飯にかけて食べも美味しい。毎日これでもいい。ところが、食べてる途中で頭、顔、口、喉、鼻、食道、胃のすべてが熱くなった。調子に乗って唐辛子をいくつか良くかんでいたらしい。
インドネシアの料理にはたいがい唐辛子がそのままいくつも入っている。いつもは警戒しながら食べるのだが、あまりに美味しい料理だったので、警戒心を失って、もぐもぐかんでしっまたのだ。あわててコピを口にして、出てくる汗をハンカチで拭き続けた。結局4杯のコピを飲んでしまった。
近郊の見学/Field trip on suburb
2002年12月14日(土)
ドリアン農園/Durian farm
朝気づいたのは朝食のコピは飲みやすい。昨日2回も飲んだ濃すぎるコピとは違う。これがネスカフェの方なのだろう。今日からネスカフェにしよう。美味しい朝食を済ませて、アブ先生の来るのを待った。今日は、サマリンダ周辺の見学。
アグロフォレストリー見学といっていたが、今まで、サマリンダとバリクパパンの間をあまり見学していないので、街道沿いの様子を見に行こうということだった。
まず、ドリアン農園、これはプランテーションだ。樹高10m以下のドリアンが整然と植えられていた。ドリアンは巨大な樹になり、普通は落ちてきたドリアンを拾って売るのだそうだが、この高さならば、落ちる前にとって出荷することができる。しかし、自然に落ちたものの方が直ぐ食べるには美味しいという。
比較的若い樹ばかりなので、アブ先生が不思議な顔つきをして「こんな若い樹には、普通、こんなに実をつけない」となにやら農園主に尋ねた。ここでは、接木でドリアンを育てているらしい。接木ならば、早く収穫できるようになるし、樹木の更新も簡単だそうだ。ドリアンの樹は5m間隔に植えられ、将来樹冠が閉鎖しても、間伐せずにそのまま高さ20mを維持して、大きくなりすぎたら、あたらしいものに更新するのだとか。












せっかくなのでドリアンをご馳走になった。「むー、あの匂いに挑戦か」と食べるための勇気をふりしぼった。何度か食べたことはあって、食べれるようになったぐらいのもの、戸惑いながら手を出した。ところがこのドリアン匂いもなにも無い。おまけにあのねっとり感もなく、どちらかというと期待はずれ。食べやすいといえば食べやすいが、勇気を振り絞るほどのことはなかった。まだ若いのだそうだ。
組織培養造林/Tissue culture forestry
街道をバリクパパン方面へ進み、道路わきに妙な林を見かけた。ユーカリだった。これは組織培養でできた苗をプロモーションとしてここへ植えたものだそうだ。植えたのはジャカルタにあるアメリカのティシューカルチャー会社。ティシューカルチャーで作るのだから、恐らくモノクローンなのだろう。どの樹も同じような顔をして、同じように育っている。
アブ先生は、インドネシアでは最近ティシューカルチャーで作った苗を植えることが多くなってきたという。特にチークの植樹にはよく使われるそうだ。苗がティシューカルチャーで安く手に入れば、このプロモーションはこのユーカリのクローンの宣伝なのか、ティシューカルチャー自体の宣伝なのかわからないが、国中がモノクローンのユーカリの林になったり、ティシューカルチャーの林になったりしたら、大変だ。とちょっと心配になった。



コショウ農園/Pepper farm
次はコショウ農園。研究室に塚口がコショウを山ほどお土産に持ってきてたが、あれはどうなったろう。コウショウはツル性なのか、支柱が農地にいっぱい立ててあり、コショウの樹がこれにしがみついている。支柱はなんとウリン。腐らない木材ということなのだろうか。しかしこの農地全体にウリンの支柱を立てるにはどうやってウリンを調達しているのだろう。ウリンのフローリングや屋根材、壁板、根太材をところどころで見てきたが、安い木材という感じはしない。コショウ農園作りには金が必要なのでは?
アブ先生はそのことより、「このコショウ農園は長続きしません、肥料が必要です、肥料が無ければ収穫が少なくなります、肥料は高い」を強調していた。一面に農園を作ってしまったので、ここへ肥料を投じなければいけない。その費用を農園主は持っていないから、数年後には生産量が落ちて、耕作をやめて放置するだろうということだ。その後はアランアランの原野になる。今見れるアランアランの原野も同じ理屈でそうなったのだという。
そうなる前に、このタイプの農園はアグロフォレストリーに転換していく必要がある。



農産物のいろいろ/Various farm products





水田地帯/Rice paddy area
次は水田地帯、今日見学しているところ一帯は、コショウ農園が丘陵の斜面と尾根部にあり低地が水田になっている。低地へ降りていき、水田の様子をみた。今は恐らく稲の分けつの時期だろう。穂はまだなく、緑は濃いが、株が細い。場所によっては、今田植えをしているところも有る。
まだ水田ではなくて、沼地のままのところがたくさんある。水田の拡張工事を村のひとがやっている。もちろん人力で。バイクには乗っているが、耕運機も田植え機もないましてやパワーショベルもない。水田作りには技術が必要だ。日本ならば灌漑技術がその中心だが、ここでは流れる水を引き回すことはできない。低地に集まってたまるところを水田にしている。たまりすぎれば稲は水没する。かえって難しい技術のような気がする。沼地も遊水地として必要なのだと思う。
アブ先生の説明では、今機械化を進めることはできない、第一に金がない、労働力があまっているので、さらにそれを減らすような方策は問題だ、という。水田を作ったのはジャワからの移住者で、実に上手に作る。ダヤックの人ではない。ドリアンもコショウも同じだ。移住政策で、農地化に加わったのは、他の島の人だから、もともと住んでいたダヤックの人は、奥の山林へ移動してしまう結果になった。ダヤックは森の生活は得意だが、農業や漁業の伝統技術を持っていない。だから、どうしても移住者に負けてしまう。カリマンタンはインドネシアの森の島なのだ。
今日はアグロフォレストリーは無くアグリカルチャーの見学だった。

ホテルに戻って、一人で晩御飯。ラーメンを思い出し、ミークアを頼んだ。今度こそネスカフェも。ミークアも美味しい。日本のラーメンでも、中国の麺でも、八重山そばでもない。サマリンダの町で食べるミークアとも違い、野菜と鶏肉がたくさん入っていて、インターナショナル風に真剣に料理されたものだと思う。今日は唐辛子をかまずに置こう。ネスカフェも心地好く飲める。
沿道の樹木/Roadside trees
2002年12月15日(日)
今日も昨日の続き、あまり有薗が学校にばかりいるので、連れて行くことになった。













ブキットスハルトの演習林の前に車がとまった。しかしいっこうに入る気配がない。「ここへは行かないの」「なにもない」とアブ先生、道路わきの露店で果物を買い始めた。メルクシマツが見えたので、写真だけ撮った。
昨日と同じ風景を見ながら、バリクパパン方面へ向かう。コショウ農園を横にみて、ティシューカルチャーのユーカリを見て、復習のつもりでいろいろアブ先生に質問、しかし面倒らしく、インドネシア語でべらべら有薗に向かって話す。有薗が私に向かって話す分は、彼独特の要約になっているので、意味が分からん。「お前日本語でも上手にしゃべれないんだから要約するなよ」「でも早すぎて全部通訳できません、時間がかかります」「ですか」それもそうなので、論争になるような質問はやめた。
エビの養殖池/Culture pound of shrimp
車はバリクパパンへの街道から海の方へ向かって折れた。今日は海老の養殖場の造成地を見に行く。着いたところはバナナ農園のようなところ。農園の中を歩いてバナナの樹の間をすり抜けて、着いたらそこはただ四角く広く掘られた池。水田のように見えるが、深くて水しか見えない。この中に海老がいるとかいないとか。
エビの養殖は中国系の移住者ができることで、金が必要。確かにあたりには0.7ユンボが置いて有る。機械でなければこんな池は掘れない。中国系の人々は華僑とつながりがあるから、こういう仕事にも参加できるそうだ。金はシンガポールかマレーシアの水産会社から動いて、土地の開発が行われ、中国系インドネシア人がここで海老の養殖をする。加工場は別のところにあって、そこから輸出される。ここで動く金のうちインドネシア資本はほとんどなく、開発の金も加工施設の金も近隣国の華僑から流れてくるそうだ。








輸出先はほとんど日本だというが、そんなに日本人は海老を食べるのだろうか。養殖するのがインドネシア人のすること、食べるのは日本人、間で儲けるのが中国人とアブ先生。
今いる場所からは、なにも見えないが川が直ぐそこにあり、さらにその向こう1km先に海があるという。とすれば、ここはマングローブ林のはずだが、ヒルギ類は何も見えない。ところどころニッパヤシが見えるので、間違いなくマングローブ林を伐採してこういう養殖場を作ったのだろう。マングローブ林の開発とはこういうことか。
レンガ工場/Brick factory
早めに帰路についたが、途中アブ先生がレンガ工場を見つけたので、よってみた。工場といっても、1aもない大きさの小屋。レンガは小屋の隣にある土を掘って、型にはめて形を作り、乾燥してから窯で焼くという仕組み。窯は開放式で天井はない。レンガで造った壁の内側に積み上げ、真ん中で薪を炊くだけ。4-5日はかかるという。













薪が大量に必要な仕事だ。周りには樹がない。薪は確かに積んで有るが。薪はどうするのだろう。数キロ先の林から切ってもってくるのだという。ここで仕事を始めたころには回りに樹があったが、なくなった、薪を集めるのが大変だとか。そのわりには自分で育てたような形跡はない。この辺に樹を植えればいいのに。アブ先生は、こういうところもアグロフォレストリーが必要だという。
ホテルに戻ると疲れが吹き出る。レストランに行く気がない。炎天下にずっといたからだろう。晩飯はルームサービスにした。ピザとネスカフェ。
ホームステイ開始/
Beginning of the homestay
2002年12月16日(月)
ホテル住まいが快適で、美味しい食事をとった後は、毎朝ホテルの敷地内を散歩して楽しかったが、それももうあきた。
午前中は、最後の役所回り。市役所へいった。ここもアブ先生の知り合いだらけ、よく分からぬうちに終わってしまった。ホテルに連れ戻され、夕方まで待つように言われた。夕方に引越しの予定なので、ホテルの荷物を整理したが、あっというまに準備完了。
下宿生活開始。部屋は家の2階にあって、有薗の部屋の、廊下を隔てた向いにあたる。廊下といっても、3mぐらいの幅で小さなロビーになっている。部屋の中は、4畳半よりやや大きいぐらいの小部屋で、マンディルームがついている。クーラーと衣服ロッカー、ベッド、サイドテーブルを入れてもらった。
有薗がこの家の構成と人の名前を教えてくれた。おじいさん:ルスリー、おばあさん:イブ ルスリー、ご主人:トゥングル、奥さん:イブ リスナー、娘:デリー、息子:リッキー、お手伝い(大きい方から):レニー、サンティ、ヌヌン。なかなか覚えられそうもない。
大ご主人のルスリーさんが本江先生と知り合いで、ここへは、有薗の前に、卒業生の山田照江がホームステイでお世話になったとのこと、そのころ、イブリスナーはまだ娘のお年頃で、有薗の部屋にいて、山田がお世話になったのが私の入ったこの部屋だとか。もうだいぶ前のことだな。山田も結婚した。
足りないものの一番は電話線。結局、地域の回線容量問題で、新設ができず。大屋さん、有薗と共有で使うことになった。自分で占有できないので、長時間インターネットは控えなければならない。今は線すらない。後で、ご主人が日曜大工で引いてくるそうだ。
そのほかには?とりあえず今は・・・・、あわてて石鹸とハンドタオル、バスタオル、灰皿をスーパーマタハリへ買いに。
2002年12月17日(火)
朝食はパンしか食べない。それにコピ。「えっ!これだけ?」と心の中でつぶやいたが、良く考えなおしてほっとした。インドネシアに来て3週間をすごしたが、毎日、毎日、朝からたくさん食べすぎだったのだ。日本の家での食生活からしたら、3倍は食べている。体も一まわり大きくなって、重い。この朝食でちょうどいいかな。しかし、日本人的な感覚の朝食なので、ちょっと意外。
引越し荷物の整理。といってもほとんどなにも無い状態。今日はアブ先生も忙しそうなので、1日下宿にいることにした。
衣類はホテルのランドリーサービスがつけてくれたハンガーをそのまま持ってきたので、衣類ロッカーにかけるだけ。靴は階段に置く習慣だそうで、靴と運動靴とサンダルを置いた。買ってきたタオルとバスタオルは、マンディールームのドアにかけるところがあるのでかけた。パソコンやその付属品、コード類の置き方がわからないので衣類ロッカーの下に一旦収納。書類なども同様。これで荷物はトランクから全部出た。
ほかに何がほしいか考えてみる。髭剃り、ひげそり用と身だしなみ用に鏡、洗面用具を置くアイテム、寝巻き用に、短パンTシャツ2着ずつ、ベランダに椅子と灰皿おき、蚊よけ、かゆみ止め、デスクライト、電源の延長コード、ティッシュペーパー、ゴミ箱、ゴミ袋、今はこれくらいか。一応メモしておく。
昼食をヌヌンさんが持ってきてくれた。ミークアのようだが、食べてみると、日本のインスタントラーメンのようだ。味はちょっと違う。ナシが一緒についているので、この中に入れて食べる。野菜もいっぱい入っているので健康には問題ない。もちろん美味い。
部屋の使い方の検討も済んだので、今日まで書いていなかった日記を書き始めたが、食後はとにかく眠い。ベッドにちょっと横になったら、そのまま3時まで寝てしまった。
Emailやインターネットでするべきこともあるが、電話線がきていないので今日はいいか。必要に応じて有薗の部屋に行けばよい。
机と椅子がきたので、パソコンを置いてみるが、電源の使い方があまり上手でない。どうしても延長コードが必要だ。
2002年12月18日(水)
昨日感じた意外さは、今朝吹き飛んだ。今朝はインドネシア料理の食事。ナシと卵焼きとスープと揚げ豆腐にテンペ・・・皿にいろいろのせて食べた。量もちゃんと食べる。
アブ先生は研究発表会があるそうなので、午前中は下宿にいた。日記の書いていない分をまた書き始めた。やったことは覚えているが、それがいつだったのかがわからない状態になってきた。
午後からは、砂糖ヤシの生産の見学にいくからカメラを持ってこいとのことだったが、買い物がいろいろなので、買い物だけに変更。下宿の普段着用に、短パンTシャツ2着ずつ、電源の延長コード、デスクライト、ゴミ箱、髭剃り、鏡2つ、蚊取り線香と殺虫剤を買うことができた。スーパーマタハリだけでは希望のものが買えず、電機屋、ガラス屋にもよってもらった。
早速戻って、買ってきたTシャツと短パンを着る。ほかに買ってきたものも部屋にセット。傑作なのは鏡。2つも買ってきたが、2つとも木枠にヒートンが付いていて吊るす小さいタイプ。吊るしてみると両方とも斜めにしかならない。苦笑しながら、ヒートンを付け直して完璧。ガラスやさん、ヒートンぐらい真ん中につけろよ。部屋とマンディールームにひとつずつ吊るす。
インドネシアに来て、普段の生活で一番感じていたのは、どこでも部屋が暗いこと。ホテルはどこでも暗いのが普通だが、一般家庭の部屋も暗い。この部屋も同じ。昼間はともかく夜になると、老眼初期の私には文字が読めない。昼間でも曇ってくるとやはり暗い。デスクライトが買えたので、これで夜も快適になった。本当は日が沈んだらはやく飯を食って寝ろというのが神様の教えなのかも。
電話線はまだこない。ご主人のトゥングルさんが今日は、部屋の電灯の入れ替えをしてくれた。マンディールームに明るいライトが、ベランダにもライトが点くようになった。かわいい掛け時計も入れてくれた。だんだんこの部屋が完成していく。ここから逃げ出すこともできなくなってきた。
砂糖ヤシ/Gula Merah(palm sugar)
2002年12月19日(木)
朝食はパンとコピ。交互にこういう食事らしい。それにしてもギャップがおおきい。
8時半に有薗と一緒にアスフィー先生の研究室へいって、本江先生から渡すように言われたものを渡した。私の土産はお粗末ながら、日本の漫画雑誌。頭をかきながら喜んでくれた。なんだかんだいろいろなことをしゃべったが、日本人とよもやま話をしているみたいだった。
実はアスフィー先生の実家はドリアン農園だそうだ。今度いってみよう。授業がはじまる時刻が近くなったので退散した。
このあとはネルマラ先生の研究室で、新年会に呼ばれている。まだ時間があるので、構内の野外喫茶店へいって、時間をつぶすことにした。なんでも本江先生は去年の滞在期間中、ほぼ毎日ここへ来て、牛のしっぽのスープを食べていたとか。
コピを飲みながら、校内を通る若者の姿を観察していた。ほとんどの学生はバイクにのってやってくる。このバイク、日本で言えば原付バイクなのだが、2人乗りでも、3人乗りでもできる。形もちょっと日本と違う。
何が違うのか考えてみたら、前輪回りは原付デザインなのに、後輪回りは自動二輪デザインなのだ。決定的に日本の物と違うのは、座席シートが長いこと。そのせいで、後輪回りが125cc以上の自動二輪風なデザインになっている。
ネルマラ先生の研究室では、新年会の準備が始まっていた。みんなで昼食会という感じだった。造林研と同じようだ。始まるまえに、ネルマラ先生が一言。もちろん私にはなにをいっているかわからない。そのあとは、食事の前のお祈り。しかしその間ネルマラ先生は何もせず、私と同じようにただぼーとしているだけ。後で聞いたが、ネルマラ先生はイスラムではなく仏徒なのだそうだ。
食事の間は盛んに私に話しかけ、日本での研究の話を尋ね、本江先生と共同研究で論文を出したい、ネルマラ先生独自の論文を日本で発表したい、この研究室をインターナショナルにしたい、本江先生にアドバイスしてほしいなど多くの熱意を示された。
若い男の先生も、日本でドクターを取りたいが、受け入れてくれる先生を探してもらえないか?と大変だ。
私には力がないから、本江先生に尋ねてみましょうとつたえるので精一杯だった。
アブ先生がネルマラ研究室に迎えに来て、これから、砂糖ヤシを作っている村に見学に行くという。今日は奥様も一緒だとか。どうも私も連れて行けと奥様に言われたようだ。家に迎えにいってから、再出発。サマリンダ郊外の村で、ほどなく到着。電気は来ているが、電話線はみあたらない。
確かにヤシの木がいっぱいある。このヤシ、石垣島のヤエヤマヤシと同じで、小さな実を穂状に着けている。実も食べるそうだが、この幹の中から水をとって、煮詰めて砂糖にするとのこと。たしか研究室で食べていた砂糖がこれではないだろうか。「トモコとタケシがここで実習した」とアブ先生が言っている。
ヤシから水を抜いてしまうと、抜いた位置から上は枯れるそうだ。樹の上の方から3段階ぐらいに分けて順に水を抜いて、少しずつ砂糖を作っていくとのこと。煮詰めるための燃料が必要なので、回りの薪材の育成と薪作りが大変だと村の人は言う。一人で扱える砂糖ヤシは5本で限界というが、サイクルが正しくのみこめない。後で、アブ先生に聞こう。
生産できる砂糖は高価なもので、村の人にとってこの仕事は手放すことのできない大切なものなのだろうが、ひどく燃料を必要とするので、回りの樹木がどんどんなくなっていくアンバランスをアブ先生は気にしている。これは人間生態学だな。











部屋は着々と進歩している。ベランダにテーブルと椅子がはいった。蚊取り線香も買ったので、夜ベランダに出てタバコを吸っても大丈夫。
突然電話が来た。本江先生だった。ナイジェリアへ行くという。そういえば、そういう話だった。いらっしゃらない間は電話やメールで学生たちに指示を出すのだとか・・・「大丈夫なのか?」と思いつつ、ただ「はい」と答えるしかなかった。学生たちが交代で電話にでて一言ずつ言っていたが、相変わらずの人々だ。
講義する/
Lecture at Mulawarman University
生活環境の構築/
Construction of the living environment
2002年12月20日(金)
午後から迎えにくるというので、午前中は暇。部屋の快適環境作りを考えてみた。
まずマンディルームに問題がある。バシャバシャとマンディをすると、水がドア下から部屋にあふれ出てしまってたいへん。ドア前においてある足拭きが毎回ビショビショ。この水の流出をなんとか防ぎたい。次にベランダ。はだしで歩くと汚れて、部屋の中に汚れが入り込む。ベランダ専用サンダルを置こう。机の引き出しが使いにくい。PC関係の部品や付属品が収納しきれない。引き出しから出して、箱の中にいれたい。衣類ロッカーもシャツやズボンを吊るすのは不自由ないが、ハンカチ、パンツ、靴下などを入れる引き出しがないので、コンビニ袋に入れて吊るしてあるが、取り出しにくく、整理もできない。これも箱を見つけてきて入れよう。マンディルームに置いた歯ブラシや髭剃りなども、便器の水槽のふたの上においてある状態。落ちるのがいやだ。壁にぶる下げる仕組みを作ろう。
ということで買い物の楽しみができた。
昼食を済ませて待っていると、アブ先生がやってきて、「先生ごめんなさい、今日は先生の講義です、4時からお願いします、題は日本のアグロオレストリーです」。そういえば、前にそんな話はあった。しかし、昨日言っておいてほしかった。
持っている写真の中から水上のきのこ狩りの時の写真を使って、シイタケの栽培と、ナメコの栽培と、マツタケ山造りの話をしてみた。質問も多く、ナメコの原木とシイタケの原木の違い、マツタケの値段など様々、飛び出してきた。大学院の講義なので、それなりに熱心な感じだった。





明日も別のクラスで同じ講義をしろと、アブ先生の命令だった。