Borneo Indonesia
Samarinda 20030122
サマリンダでの暮らしと学び/
Learning with a living in Samarinda
写真無く・書けない /
Hard to write without photo
2003年1月22日(水)
これからは最小限の活動記録のみにとどめることにしよう。
今日からしばらく事務所と学校。写真の整理。古い焼畑跡地の森林構造の図化を手がける。
下宿に家から荷物が届く。年賀状だった。鶴岡八幡宮の家内安全のお札が入っていた。この家にあげよう。アラーの神と喧嘩しないでください。
2003年1月23日(木)
古い焼畑跡地の森林構造のプレゼンテーションをパワーポイントで作り始める。学生の一人の修士論文試験が2月初旬に刺さりこむ。タラカンからマレーシア行きは延期決定。
念願の床屋へいけた。日本の総領事がサマリンダを訪問。在住日本人の慰労のため?日本への留学経験者の会にさそわれてアブ夫妻と出席。映画「しこふんじゃった」をみる。
2003年1月24日(金)
ネルマラ研究室を訪問、本江先生のコメントを伝える。問題解消でめでたし。遠心分離機を見るがなんともならん。開けて見たいが工具無し、別の日に改める。
本江先生からのメールで周囲騒然。ダム湖の学生を急がせなければ、アブ先生をプッシュ。タラカンの件もアブ先生をプッシュ。アブ先生は大変。ダム湖の件の研究背景とアイデアをPCにまとめ、メール送信用添付ファイルを作る。アブ先生がサンバス先生に電話で近況報告。サンバス先生から写真を送れとの指示を受けた模様。アブ先生からはサンバス先生に写真でレポートを送るよう指示。
アブ先生の母上がメッカにいくこともあり、予定をアレンジしなおす旨伝えられる。マレーシアにはいけるのか? マタハリで電話のチャージ、バザールでインドネシア語英語電子辞書の復旧。
2003年1月25日(土)
朝からカントール。本江先生に、ダム湖の件の対応の仕方、タラカンの対応の仕方をメール送信。
サンバス先生へのレポート作り。リヤント先生の件でアブ先生をプッシュ。夕方、アブ先生の依頼で講義を引き受けるも休講となり、そのまま帰る。
有薗に用事が発生、リヤント先生の件を再プッシュ、電話してもらう。
2003年1月26日(日)
アブ先生、リヤント先生の件で大嘆き、まだメールしてないとか。有薗を行かせる事を伝えたと連絡あり。
1日中休み。どこへもいかない。アブ先生はサンボジャで見学実習。部屋掃除整頓。日記の編集。昼寝4時間。PCのファイル整理。夜も寝る。
2003年1月27日(月)
迎え遅くなるも午前中カントール。メールチェックするが繋がり方がおかしい。今日のアブ先生はとても忙しい。電話以外は黙って仕事。
サンバス先生へ送る写真の整理。有薗の修士論文の件でアブ先生をプッシュ、論争沸騰、長くなり昼飯時間を逃す。こうしましょうと出てきた答えは、今まで通り。早く終わらせろ、という本江先生の意思とは、ふたりとも逆行、だめだそんなの。
3時にマタハリまで行って食事。リヤント先生の件は様子見とする。帰りがけにメールチェック、森林の会の件受信。下宿でメール返信するも繋がらず。このところ通信状態が悪い。
2003年1月28日(火)
突然リプト先生がなくなったとのことで、本江先生の代理として葬儀に列席。部屋の真ん中に遺体が安置されその周りに列席者が囲み、それぞれコーランを読んでいた。お通夜に相当するものと思う。本来の葬儀はおそらくこの後におこなわれるのだろう。一応本江先生の代理の役目は済ませたから、帰るよう指示され、事務所に戻る。
サンバス先生へ送る写真の整理を完了。コメントはアブ先生に任せるもやるのかな。有薗と無駄話。森林の会の苗木の件受信。
2003年1月29日(水)
マレーシアのロタンの本を読む。英語。本内容は図鑑。研究室へ送る写真をCDに入れるため、持っているCDの整理。マジックがないので、どれがなにやらさっぱりわからなくなった。宮下さんに手紙を書く。本江先生にリプト先生、イイップ先生の件送信、学会費請求の件受信。
三菱ダイレクトにログインできない。困った。またまたトラブル。これは致命傷になりかねない。
有薗のロタンの生態について。下宿に帰って、有薗に手紙を印刷してもらう。日記の整理。いい加減日記はこの程度にしておこう。
2003年1月30日(木)
手紙を有薗に出しにいってもらう。インターネットの銀行操作を事務所でやる。昨日のトラブルは原因不明。しかし、日本のサイトへ繋ぐと時間がかかる。本江先生へ金額の件・研究室の市川へ会費の件返信メール送信。LIPIへのPROPOSALを送ってほしいメール。ウィルス対策のダウンロード。これも時間がかかる。
研究室に送る写真をCDに入れる準備。今まで作ったCDはみんな不完全なのものとなり、やり直し、日記もいれよう。日記の不完全部分を整理。CDケースがない。送るのに困る。研究室へ送る分と、サンバス先生の分。有薗にたのむ。
2003年1月31日(金)
LIPIへ出したPROPOSALの原稿が届く。レポート作りの準備にかかるも、ほかのことが終わらない。とりあえず、焼畑跡の再生林、シュンケイ・ドリアン林のまとめから始める。インターネットでロタンの情報を集める。
インドネシアにgoogleがあって、英語で使える。もちろん日本語も出るが、遅い。東南アジアのサイトならすばやく出てくる。結構便利なことを発見した。寒いクーラーで体調不良。熱の出そうな気配。やばいかもしれない。下宿で横になると体が重い。寝ながら汗をかく。
2003年2月1日(土)
体が重くてベッドから起き上がれない。やっとのことで、食卓へ。今日は中国の正月とうことで休日だとか。今日になって教えてもらった。アブ先生は今日明日休みだと朝になってからいう。もっと早く教えろよ・・・・・と少し不満。朝からふて寝をしたら、ちょっと冗談じゃなく熱っぽい。そのまま寝る。起きたら夕方、ぐっしょり汗をかいていた。結局休みでよかった。
まもなく飯となるが食卓でボー。トゥングルさんが心配して何か聞いてきたが、頭が翻訳しない。意味も分からず「ya、ya、ya、」の生返事。有薗はいない。食事を済ませたあと、有薗が帰ってきて「アブ先生が病気になった」という。家に見にいったら、症状は俺と同じだ。もっとひどいらしい。一緒にダウンか?見舞いどころではない、こっちの体が心配になった。クーラーを切って、大汗かいて寝る。
2003年2月2日(日)
体調はさほどよくは成らない。日本からもってきた風邪薬を飲む。食事は普通に取れる。微熱が続く。特に頭痛もくしゃみ、鼻水、咳もないが、体が重い。寝飽きたので、インターネットでインドネシアの歴史を紐解く。結構面白く、ずっと読んでた。昼食をヌヌンが持って来てくれた。いつものミークア。この量が良い。なにかほっとする。毎日毎日自分の適量をオーバーして食い続けることを苦痛に感ずるようになってきた。アブ先生は有薗の修士論文の面倒をみるとか、体は大丈夫か。
2003年2月3日(月)
今日は体が重くない。アブ先生も元気で出勤。しかし、事務所のクーラーが怖い。こちらの人はみんなどんな外気温でも最大でつけっぱなしだ。ちょっときつい。有薗のプロポーザル提出はなんとかなったらしい。アブ先生がいないときは切ってしまおう。研究室へ送るCDが完成。ケースも有薗が買ってきた。有薗のプロポーザルと一緒にCDを研究室に送るよう指示。焼畑跡の再生林、シュンケイ・ドリアン林のまとめを再開。
フサエニ先生下宿に来訪。明日論文のアブストラクトを持ってくるから、本江先生に送って欲しいとのこと。有薗にフサエニ先生の原稿が届いてから一緒に研究室へ送るよう指示の修正。本江先生にフサエニ先生の件をメールで報告。
2003年2月4日(火)
今日は11時から4年生に授業をしてほしいと突然言われた。いつもこれだ。 写真を見せるだけだから、かまわないけれど。 授業をしてみると、こいつら元気がいい。日本の担任の学生みたいだ。
質問をしてくれた学生の中に英語を使った女子学生がいた。鋭い質問だった。
顔を良く見ると、坂川梅香に似ている。
焼畑跡の再生林、シュンケイ・ドリアン林のまとめを続行。
シュンケイはどうも普通スンカイと呼ぶらしい。 いろいろな人がアブ先生と話をしているが、アブ先生だけしかシュンケイと言わない。 撮った写真を見ていると、スンカイは2-3本の株立ちになっている。 葉の形や幹の立ち方は日本のサワグルミに似ている。 シュンケイ・ドリアン林の側面図を、写真から作りあげたので、この仕事は一旦終了。
2003年2月5日(水) 夕べ、下宿で寝ている間にフサエニ先生が論文のアブストラクトを持ってきていた。 朝下宿これを聞いて、預かったFDを見ようとしたら、にウイルスの感染が認められた。 対処に困ったが、古いウイルスリストで駆除し、これも研究室へ送るよう有薗に依頼。
サンバス先生にいい加減報告しなければ。整理した写真はCDに収めたのだが。
アブ先生はいそがしいらしく、手紙を書こうとしない。 自分でやるか。英語で写真のタイトル付けに着手。 サンバス先生にはこれで許していただこう。
2003年2月6日(木)
アブ先生が明日からスンカイを見にパシールへ行きたいといってきた。奥様と、パシールで国有林に勤めている卒業生と相談してから決めるとか。明日は一旦普通に事務所にくるよう指示された。
終日サンバス先生に送る写真のタイトル付け。樹種の名前等、やはりアブ先生に聞かないとタイトルがつけられない。すべて尋ねきれずに下宿に持ち帰るも、アブ先生無しでは進まない。また明日だな。
下宿の食事後、本江先生から有薗に電話あり。有薗の電話機を渡され、先生の指示を聞く。学生が来るという。電話機を日程が22日着、30日帰りと聞く。マレーシアへ行っているときに到着なので、当初は有薗にまかせることにしよう。最初はブキットバンキライへ泊めれば良いと本江先生はいう。
まてよ、2月に30日はないぞ。相当時間がたってから気づく。この日程、3月22日から30日なのか?それとも2月22日から3月30日なのか?電話で尋ね返そうとしたが、なんとも電話の状態が悪くてかからない。1時間もツーツーツーばかり。日本時間で9:30を過ぎた。いろいろ分からなくなってきたので、これも明日だ。
アブ先生から明日の晩からパシールへ行くと連絡あり。朝準備して出てくるようにとのこと。ついでに、アブ先生に日本から学生が来ることを報告。ずいぶん喜んでいる。明日は大変な1日になりそうだ。仕事を済ませてパシールへいかなければ。