Borneo Indonesia
Samarinda 20030506
日本へ帰る準備でおおわらわ/
Busyness for returning to Japan
デスクワーク/DESK WORK
2003年5月6日 (火)
日本へ帰る日の確認をしなければ。ビザの期限を間違えていた。5月23日ではなく30日まで。切符が23日までだった。まず、切符の変更が可能かを調べてもらうが、答えはNO。残念。日本を出るとき大先生は簡単にできると言ってたように記憶しているが、ビザの延長も切符の延長も実際やるとなると、またアブ先生があちこちに折衝してまわらなければいけないのだろう。あのわずらわしさはもうごめんだ。下手をすると延長する時間分だけ折衝に時間が必要になる。この際だから切符は捨てて、30日出国、ダーウィンに寄り道して帰ることに決めた。
できたばかりのアブ先生の二つの本を日本の大先生に送る。三つ目もあるのだが印刷中。三つ目には大先生に巻頭の言葉を書いていただきたいと言っている。メールで連絡。
2003年5月7日 (水)
大学からもらった費用の使い方を整理しなければならない。すでに金は確かに使っているのだが、領収書が全部いるとは、大変な話だ。領収書の整理からはじめよう。
アブ先生はジャカルタ行きのことを手配し始めた。バリクパパン、ジャカルタ、バリ、ダーウィンのブッキングを旅行社に頼んでいる様子だった。日程は24日発か27日発とか。
日本で論博を取りたいというイパン(アブドゥヌール)先生に会う。水産学部の原子吸光のある部屋にいった。アブ先生、アスフィー先生、院生アリが同行。
本人の希望は、論文博士取得のために1週間ほど、数回日本へ行きたいという。それだけでは不足に違いない。アブ先生が強く費用の出所を問うと、東カリマンタン州の奨学金をあてにしているようだ。金というものは何につけても必要なものだ。
研究自体は、マングローブ林内におけるブラックタイガーの稚海老、スズキの稚魚の分布と生息密度が林内環境の違いによって異なることを取り上げ、このことを堆積物の物理的要素、化学的要素、生物的要素の3点に着目して環境を解析し、3つの要素が稚海老と稚魚の分布や生息密度に与える影響の強さを求め、関係を明らかにしようとする立派な計画だった。研究の完成度は40%程度だという。調査地へいってみる約束をした。
原子吸光を立ち上げてみるはずだったが、見るだけ。コンピューターとつないであるんだろうかこれは?またの機会にしよう。
2003年5月8日 (木)
領収書をノートに貼り始める。なかなか終わらない。領収書やレシートの文字が小さくて、老眼の進み始めた目にきつい。紙を見るときはメガネをはずし、PCを見るときまた掛けるという苦しい繰り返しを強いられる。だれか若い目を譲ってくれないものか?
フサエニ先生が倒れたとのこと、夜自宅にお見舞いに行った。訪問中に日本の大先生から電話でイパン先生に伝えるべき要点について連絡いただいたが、それより、偶然ながらもフサエニ先生の奥様と大先生に話をしていただくことができ、なによりであった。
フサエニ先生は我々の挨拶に反応しては下さったが、お体は動かない様子。教授昇進の知らせも、ご病気後に届いたという、皮肉な話だ。はやくお元気になられると良いが。
2003年5月9日 (金)
依然使った金の計算が続く、どうやらとっくに金は使い切っているようだ。
アスフィー先生がアブカントールに来訪。アブ先生と一緒にイパン先生の論文について打ち合わせ。本人急用のため不在。一応、二人に大先生からの連絡では、持ち得る費用は最低ではあるが適切、研究生になることが必要、訪日は最低3回程度、内1回は1ヶ月が必要、主要な論文3編が必要、訪日の際3つの論文を持ってくることが必要を伝える。
2003年5月10日(土)
イパン先生に会いにアスフィー先生のオフィスへ行く。アブ先生、院生アリが同行。昨日と同じことを本人に伝える。11月に訪日の機会があるので行きたいとのことだが、それはこれからの進み具合で様子をみることにした。いずれにしても3月には試験のためにいかなければならない。研究場所のマングローブ林の写真を撮ってくるよう、大先生が言っていることを伝える。
2003年5月11日(日)
休み。部屋の掃除。昼前にアブ先生が土産物屋に連れていってくださった。家も含めて女性用のお土産を買う。アブ先生も、大先生の奥様とお嬢様にとお土産を買って私に渡した。
午後は、日本へ送る荷物を作って、寝る。
2003年5月12日(月)
ロタンのデータの作り直し。有薗がまとめたデータではどうにもならん。自分でやってやるか。
2003年5月13日(火)
郵便局へ。大学宛に荷物を送る。