Jakarata 20021122
政府機関への滞在手続き/
Formal procedure to the government
2002年11月22日(金)
海外派遣研究員としての出発/Beginning as overseas research fellow

海外派遣研究員としてインドネシアの大学で活動するための旅が、今日、始まる。
仕事をまがりなりに終えて、整えた荷物をピックアップするのにいったん家に向かう。ジャカルタを目指して、あわてて家を出直しTCATに着いたら、なんと目の前で最終バスが出て行ってしまった。仕方なくタクシーに乗る羽目に陥った。
なんてこった……思わぬ出費だ。せっかく安くていいホテルをとっておいたのに…高くついた。高級ホテルに泊まったと思って良しとするかと自分に言い聞かせるが、珍道中の始まりが予感となって頭の中を駆けめぐる。

2002年11月23日(土)
成田発バリ経由ジャカルタ/Jakarta via Denpasar from Narita
ホテルをさっさと出て、トランクを受け取り、チェックインを完了。出国カードもくれないし、空港使用料の券売機も見当たらないので、インフォメーションに聞いてみたら、そんなものはとっくに廃止になったとか…知らなかった。
朝飯を食うつもりで空港内をうろうろしたらいろいろなものが目に入り、心が買い物に向いた。まずは、お土産だ。今回のインドネシア滞在のカウンターパートはムラワルマン大学のアブ先生、先生の奥様には絶対にお土産が……奥様がしきりに「ひよこ」のことを言っていたと、前に卒業生カナとコバから聞いたことがあった。それでちょっと探し回ったら、さすがに成田空港、すぐに見つかった。
卒業生カナとコバは学生時代にインドネシアへ勉強の旅に飛び、アブ先生一家に大変お世話になっている。
サンバス先生の奥様にもこれでよいかと思い、ひよこをもうひとつ。
サンバス先生は先代の大先生、現在の大先生の友達であり恩人で、インドネシアの大学教育研究の世界では指導的立場にある貴い人物だ。
お土産のついでに自分用の電子辞書も買っているうちに朝飯のことは忘れてしまった。手荷物はバッグひとつだったのに、買い物のせいで、手提げがひとつ増えてしまった。
セキュリティチェックでは、パソコンを出せと言われ、中身を全部出さなければいけない始末。汗をかいた。
お土産がきっとまだ足りないのではと不安になり、日本のタバコ1箱とボールペン10本を買った。アスフィーさんには漫画雑誌、アリにはPC雑誌も買ったが、実はまず機内の自分用。
アスフィーさんは私の勤める大学の大学院で勉強し、今やインドネシアの大学の先生をしている人。アリは私の教え子で日本人。現在インドネシアの大学で院生として勉強している。
離陸と同時に寝た。途中ビールと機内食を腹に入れてまた寝た。結局、雑誌を見ることはなかった。
寝ているのを起こされてパスポートを要求され、渡すと「ジャカルタへ行くのか」と聞かれ、「yes」と答えれば、スタンプを押されジャカルタのイミグレーションオフィスに7日以内に出頭することと書き込まれたパスポートを返された。これがイミグレーションだったことに気づいたのはバリについてからだった。

バリに着いたのは、日本時間で5時半ごろ。トランジット通路に入ると直ぐ搭乗券を渡され、何の時間を使うこともなく、搭乗ゲート前の免税店センターのようなところに出た。
店がいっぱいあって飽きないなと思いつつ、アブ先生に連絡するため携帯電話をセットした。しかし、アブ先生にはつながらず、試しにかけた有薗にはつながった。公衆電話もカードを買って試してみたが、やはり繋がらない。
あきらめて、店めぐりをしている間に時計が19時15分を指していた。出発時刻が21:15であるので、気になって現地時間に合わせようと思い、2時間進めてみたら、すでに21:15。びっくりして飛行機の出発時刻をパネルで見たがやはり21:15。そうか、進めるのではなくて戻すのだ。ほっとして、いったん2時間戻して、もう2時間戻してみたら、なんと17:15……
あと4時間もある。そんなはずは…空港内の時計を探したら、これがまた時計によって違っていて、頭は混乱の極みに達した。それで時計売り場を探して時間を見ることにして、うろついたあげく、やっと正しい時刻が分った時には19:00になっていた。45分もさまよったあげく、日本とバリの時差は1時間しかなく、こことジャカルタとにさらに1時間の時差があることがわかった。タイムマシンでいったりきたりしているみたいで、ひどく疲れた。待ち時間はあと2時間15分。
ゲート入路にセキュリティチェックがありこの前で電話機の取説を読みながら操作の練習をして時間をつぶした。練習がてら何度もアブ先生に電話するが繋がらない。
ジャカルタ行きのアナウンスが流れたのでセキュリティチェックを受けてゲートに入った。このセキュリティでもやはりパソコンを出せとのこと。出そうとするとチラッと見てOKといってくれたが、今度は電話機を見つけられ、「ナイスマシーンパナソニックグッドグッド」といろいろなことを言われた。まるでテレビのコマーシャルだ。なんだかわからないが、OKと言われてるし、電話機をとりあげられては大変と、大急ぎで逃げた。
ゲートに入ったのが20:15。離陸準備がひどく遅れ、待つに待ってやっと搭乗したのが21:50。離陸はさらに遅れて22:00を回っていた。ジャカルタ到着は23:50、ジャカルタ時間に直して、22:50。こんなに遅くなって、アブ先生も大変だな。ほんとにまっているのかなと、心配になった。
イミグレーションで「I have the visa for research」と告げると「will you stay in Jakarta 7 days?」と言われ「yes」と答えてさっさと通過したが、これはあとで煩わしさを作るもとになった。本当はサマリンダまで行くと付け加えなければならなかった。
とにかく早くアブ先生に会わなければと急ぎ足で歩き始めたら、なんとアブ先生は税関の内側まで来ていて、「きたいさん」と呼んで近寄ってきた。はじめは誰かと思ったが、じっくりみてアブ先生と分り「おー、アブさんずいぶん太ったね、この腹はなに、ひげもはやしたの、誰かとおもった」「きたいさんもおなじね」が再会の第1声となった。
アブ先生が一緒なため、ただ後を付いていったら並ぶことも税関の検査も右手を挙げて「ya」の一言でフリーパス。あっと言う間に外に出た。外に出ると、運転手さんと車が待っていて、車に乗せられ「今日は私の妹の家に行きます。ホテルではきたいさんの勉強になりません。」「勉強?」「そう、インドネシアのカスタムの勉強!!」「?????」とやり取りがあって、妹さんの家に着いた。
ご家族みんな起きて待っていてくださっていて、一応の挨拶をした。部屋に案内されて、寝ることになったが、寝る間際にアブ先生から「今はラマダンですから、3時に食事です。よろしいですか」と言われ「はい」と答えた。あまり理解もせず寝床に着いたが今0時過ぎなのであと3時間ない、早く寝よう。
長い一日だった。
ラマダンを学ぶ/Learning of the Ramadan
2002年11月24日(日)

「きたいさん、食事です」本当に容赦なく3時に起こされ、マンディルームの使い方とサルーンの着方を教えられ、マンディを済ませてサルーンを着た。その間、家族の誰かがコーランを読む声が聞こえる。そういえば、家のそとからもあちこちコーランを読む声が聞こえる。多分モスクのスピーカーから聞こえてくるのだろう。
ダイニングルームの席に付くと、「よくいらっしゃいました。たくさん食べてください。」とアブ先生の通訳で伝えられ、テーブルには、インドネシア料理が並んだ。インディカ米のご飯と、鳥のカレー風スープ、鳥のから揚げ、羊の煮込んだもの。まるで、夕食のご馳走だ。妹さんとご主人は、こうしてたべるのだと、皿の上にご飯を盛り、スープをかけ、肉をのせ、チリーソースをつけて手でかき混ぜながら食べている。まねをしようかと思ったら、スプーンとフォークを渡された。しかし、骨付き肉もあるので、手をつかわなければきれいに食べることはできなかった。勧められるままに朝からたくさん食べてしまった。しかもまだ4時前…
食事の後は皆さんお祈りの時間。私はコーヒーを渡され、その客間で待つように言われた。このコーヒー、いつものインドネシアのコーヒーとはちょっと違う。ショウガの入ったコーヒーで、アラビア人が好むものらしい。美味しい。
お祈りが終わると皆さん直ぐ寝床に向かった。アブ先生から「今日は日曜日、役所へいくことできない、なにかしたいことある。」と尋ねられ、役所回りの準備のため、証明写真をとることと、書類をコピーする必要があると伝え、今日はこの2つをすることになり、9時まで寝ることになった。

10時に運転手さんが迎えにきて、妹さんの家の車で出かけた。運転手さんは普段タクシードライバーをしているようで、アブ先生の知り合いらしい。
ジャカルタの街へでたら、とんでもない光景にびっくり。ジャカルタの渋滞は激しく、「日本とは比べものにならない」と以前サンバス先生が言っていたのを思い出した。まのあたりにしてみれば、その意味もわかる。日本では車線に従って並んで渋滞の中にいるが、ここでは書いてある車線はまったく無視されて、ひしめき合って動いている。しかも車同士の距離はミラーすれすれ。ひどい時は5cmぐらいまでヘッドが接近している。とても自分で運転する勇気は出ない。
歩いている人も平気で車の隙間を横切って道路を横切っているし、クラクションの音もやかましい。確かに日本では、見られない。人が多いのはラマダン明けの正月が近いためだそうだ。日本の歳末の買い物と同じようだ。
大変な混雑の中、写真を撮って、コピーを済ませた。「お腹がすいたでしょ」と聞かれたが、早朝の大食らいがきいていいて実はすいていない。「運転手さんはラマダン嫌いで昼をとらなければいけない。一緒に食べてください」とのこと、屋台とレストランの中間のようなところで、運転手さんと同じものをたべた。ご飯にヤギ汁をかけたようなものに辛いソースをつけて、かき混ぜてたべる。全部食べるには量が多すぎて、苦労した。辛さは適度なものだった。アブ先生はその間何も口にしない。運転手さんは、私の汗をかいているさまを見てにこにこしていた。
一旦、妹さんの家に戻り、今晩はアブ先生の奥さんのお兄さんの家に泊まるとのこと、一応の着替えを持って再び出発。渋滞のせいもあり、奥さんのお兄さんの家につくころは、夕暮れだった。日のあるうちは、会話ばかり、私だけにはお茶とお菓子を持ってきてくださったが、アブ先生にもお兄さんにも出てこない。暗くなりはじめるころ「さあブカだ」と食事の用意が始まる。テーブルに皿が並ぶや否やお二人はどんどん食べ始めた。「マカン、マカン」、はやく食べなさいといわれたようなので、同じように急いで食べた。やはり、ご飯にスープかけて、おかずものせて、ソースをつけてかき混ぜて食べる仕組み。
「インドネシアの食事はみんなこういう食べ方なのですか?」とたずねると、「そう、チャンプルーといいまして、ご飯のほかのスープや料理が地域によって違います。」「えっ、チャンプル?」「チャンプルゥー!!」。なんと沖縄のチャンプルーはインドネシア語と同じだった。意味も同じ。驚き、驚き。
ブカが終わると、お祈りの時間。また一人にされてコピをいただいて待った。これでラマダンの1日を一通り見ることができたようだ。ブカというのうは1日の断食明けの食事を指しているらしく、単語の意味はOPENだそうだ。そういえば店の扉にぶる下がった札に、BUKA/OPENと書いてあった。ブカの時刻も決まっていて、遅れてはいけないのだそうだ。
日本人が来ていると聞いたのか、近所のひとが次々にやってきて、表敬訪問。いろいろな話が飛び交っているうちに、お兄さんが君の名刺を作ってあげよう、コンピューターの前につれていかれ、「名前と住所を書け」と、言われるまま入力。数日後サマリンダに送ってあげるとおっしゃった。ありがたいことだ。
また別の人がやってきて、話に花が咲いた。しかし、私は分からない言葉の中でボーっとしているだけになり、ついにうとうと。お兄さんが直ぐ気づき、「どうぞお休みなさい」と英語で言われ、遠慮なく寝ることにした。
直ぐに寝たはずだが、何時間後かあまりの痒さにおきあがった。何匹かの蚊が体の周りを飛び回っている。明かりをつけると、まんまと太った蚊が数匹見えた。見えるやつは全部撃滅したが、痒くてしかたない。我慢してまた寝ると1時間後に同じ繰り返し、3回繰り返して落ち着いた。
2002年11月25日(月)
首都の役所巡り/Visiting government offices to complete procedures

再び3時に起きてマンディ。そして朝食。2日目だが、起きるのは馴れた。しかしこのまま勧められるまま食べ続けたらどうなるんだ?不安を感じる。この家もモスクが近く、コーランが聞こえてくる。妹さんの家では皆さん家の中でお祈りしていたが、お兄さんの家では、モスクに行ってお祈りするそうだ。
今日の予定は、一旦妹さんの家に戻って、まずLPIへ、次いで関係の役所回りに行くとのこと。
お兄さん宅を離れるとき、夕べは眠れたか、蚊はいなかったかと聞かれた。思わず、ジェスチャーで蚊と戦っている様子を見せたら、相当面白かったのか、笑いながら、Sorry. You have friendly mosquito in Indonesia. Ah, Ah……本当は冗談ではなかったのに。
運転手さんが9時に迎えに来て、妹さんの家にもどり、直ぐジャカルタの中心部へ。あいかわらずの渋滞で移動に時間がかかる。まずLIPIのオフィスへ出向き、到着の挨拶。書類に書き込みと署名をして、警察、あての文書を受け取り、それぞれの役所へ出向いた。全部アブ先生が対応しているので、英語で単語を答える程度のことしかしない。
しかし、どこに目的の役所があって、目的の部署が役所のどこにあるのか、アブ先生でも大変なことのようだ。警察では問題なく、次の日に目的の書類ができるとのことだったが、イミグレーションでは、空港で、最終目的地がサマリンダであることを告げなかったことが、問題になった。再びLPIに戻り、その始末を訂正する文書を書いてもらって、またイミグレーションへ届けることになってしまった。アブ先生ごめんなさい。
再度イミグレーションへ行ったときは、アブ先生が一人で対応してくるから、運転手さんと一緒に食事をするようにとのこと。運転手さんにつれていかれて屋台へ。運転手さん、辛いソースを自分と同じ分だけのせて渡してくれた。これはいじめかなと思いつつ、食べた。調度よい辛さで、てんこ盛のご飯を平らげてしまった。
運転手さん、親指を立てて「バグース」と言った。多分「良く食った」という意味なのだろう。しかし、そのあと汗が吹き出てきて持っていたハンカチがぐしょぐしょになった。汗を拭いている様子を見て彼が「hot?」と聞くので「very hot」と答えると大笑い。
コピの飲み方も教えてもらった。皿の上に乗って、コップ入った熱いコピが出てきて、そのコップを握ると「あっち!!」。予想以上に熱く、危うく落として台無しにするところだった。「very hot?」、皿のなかにコップのコピを移して、皿のコピを飲んで見せてくれた。まねして飲んでみると、熱くなく飲める。
アブ先生がことを終えて帰ってくると、運転手さんが空かさず「very hot」の話をしているみたいで私を見てまた大笑い。とりあえず本日は仕事終了。
今晩も妹さんの家に滞在。ショウガ入りの美味しいコピをいただいて寝る。
2002年11月26日(火)
VIP邸に滞在/Homestay in the VIP residence

コーランを読む声で起きて、3日目の超早朝の食事。
運転手さんは8時に来て直ぐ出発。警察からSKJ・通行証明書をもらってLIPIへ。LIPIでは内務省あて、サマリンダの大学あて、イミグレーションあて、警察署あて、本人あての許可書を受け取り、次は内務省へいってSPPを受け取る。ジャカルタでのお役所めぐりの仕事はこれで終わり。
昼食がまだなので、運転手さんとレストランへ。また、にこにこして辛いやつを持ってきてくれた。今日は英語をつかって、話しかけてくれるが、意味がほとんどわからない。「日本のマネーがどうした」とか、「タバコがどうした」とか、せっかくあげた日本のたばこが「好きでない」とか、「インドネシア金を持っているのか」とか、「食事代はアブにもらった」ジェスチャーでいろいろいってくれるのだが、何をいいたいのかわからない。
ああだこうだわけもわからぬやりとりを続けたあと、整理して考えてみたら、もらったたばこは好きでないのでいつものタバコを買いたいが、金を持って来るのを忘れた、今おまえはインドネシアの金をもっていれば、貸してほしい、ということだったらしい。言葉は知らなくても時間とその気さえあれば、やがて理解できるものだな。
午後からはサンバス先生宅へ移動、泊まることになるかもしれないとのことなので、妹さん宅から、着替えを持って出かける。やはりジャカルタ渋滞で移動には時間がかかる。
聞いてはいたが、サンバス先生のお宅は確かに豪邸だ。ホテルのロビーのようなリビングに案内されると奥様がいらっしゃった。「オー、キタイ」とおっしゃってくださり、別の部屋からサンバス先生が出てこられて握手と抱擁、再開の挨拶。ご夫妻とも、この前ご病気だったはずだが、お元気そうでなりより。本当は無理してお元気そうにしていらっしゃるのかもしれない。
挨拶を終えると、プールのある庭へ案内され、プールサイドのテーブルを囲んで席についた。面食らってきょろきょろしていると、サンバス先生が「you can swim!」。さすがに泳ぐわけにもいかず、ありがとうございますとしか答えられなかった。
先代大先生と現大先生のご様子を聞かれ、元気でいらっしゃいます旨答え、インドネシアに来たいきさつと、目的の説明はアブ先生におまかせした。どうも大げさに説明したらしく、「In six month, Kitai has to report three papers.」「??・・・・、try to do」。
サンバス先生持論のインターゾーン論の話をすると「論文を明日の朝までに用意しておくから、それを読みなさい。ここの庭もアグロフォレストリーの1種だから、植えてある樹木や草を見ていきなさい。明日の午後は近くのガーデンサイトに行こう。そこは植物園の様なところだ。」などといろいろおっしゃってくださり、今晩はサンバス先生のお宅に泊めていただくことが決まった。
案内された部屋はゲストルームというより、ゲストハウスで、ワンルームマンションのような建物が2棟もあり、その一室にアブ先生と二人で入った。かつてインドネシアで学んでいた日本女子ユコもこのうちのどこかの一室でお世話になって勉強していたのだそうだ。


6時を過ぎると豪華な食事、席にはご夫妻とご子息、アブ先生と私。このところ食べすぎなので、遠慮がちに食べていたら、サンバス先生が「日本人は夜たくさん食べるのに、ちっとも食べないじゃないか、お腹の具合がわるいのか?」。「そんなことはありません」とまたたくさん食べてしまった。
食べ終わって気づいたが、そういえば今までの食事にはナシゴレンもミーゴレンも無い。
インドネシアの人はナシゴレンもミーゴレンも普通は食べないのだろうか。あとで聞いてみよう。
食事のあとは直ぐ寝る。朝はまた3時だ。
2002年11月27日(水)


3時に起きてマンディ。やはり近くのモスクからコーランが聞こえる。続いて食事。席にはご夫妻、お嬢様、昨夜とは別のご子息。また、朝からたくさん食べなさいといわれ、ありがとうございます。「アブ先生、今日から私も断食ですね。」と言いながら、腹をたたくと、皆さん大笑い。
実際腹が前より一層膨らんできた。体重計は無いが、多分70kgを超えているに違いない。あと数日でアブ先生のような腹になりそうだ。
サンバス先生は検査があるということで、朝食抜き、何も口にせず席についてお話しているだけ。「今日の昼検査が終わったら、一緒に食事をしよう、それまで休んでいなさい。」とのことだった。せっかく、断食にあわせて昼抜きにしようと思ったのに、思惑は外れた。
再び寝て、6時に起きると、アブ先生は「今日、私は正月のための買い物に行きます。夕方かえってきます。キタイさんはここに居て、午後サンバス先生と出かけてください」。朝食の際にそんな話になっていたらしい。
昼まではなにもすることがなく、部屋のなかやプールサイドでアブ先生からもらったアブ先生が書いたというアグロフォレストリーの本を眺めながら過ごした。
サンバス先生が検査から戻られると直ぐ呼ばれ、「これは私の論文です。インターゾーンのことはこの中に書いてあるから、読んでください。大先生が訳した日本語のサマリーもあります。サマリンダへもっていって役にたててください」と金文字タイトルの黒い表紙の本を渡された。何か見覚えがあるなと思ってチラッと中をあけると、これは懐かしい。この論文の製本をお手伝いした覚えがある。図表や写真のほとんどに記憶がある。自分でも、よくもまあ覚えているものだなと感じた。そのことは言えないので、「ありがとうございます。日本大学での先生の講演を思い出します。よく読ませてください。」と申し上げた。実際、文章は全く読んだことはないので、インターゾーンについて勉強してみよう。
昼食をサンバス先生と一緒にとった後、外出した。「まず私のオフィスへ行く」とおっしゃって、いってみると、サンバス先生が通るたびにみなさん最敬礼、1点に注目されている。私はただその後ろをついていくだけ、大きな机のある部屋に入ってボスらいしいひとと握手をし、続いて私も、部屋の女性にお土産を渡して、「それじゃぁ」という風に手を挙げて、部屋をあとに建物から出た。その間、どこかに座るということもなく、インドネシア語しか聞こえないので、ただ行儀良くサンバス先生のそばに立っているだけだった。「こんな日本人がやってきたよ」と連れて回っていただけなのだろうか、「病気もたいしたことはなく元気だよ」と顔を見せにきただけなのだろうか。建物を出てから気づいたが、ここはどうも日本でいう文部省らしい。
「次はガーデンサイトだ」とおっしゃり、着いたところは植木の市場のようなところ。4haぐらいはあろうか、広い公園の様なところに何軒もの植木屋が植木や植物を並べている。植木や植物はみなビニール袋で作ったようなポットに入れられている。サンバス先生は植木の買い物らしく、植木屋に一生懸命、いろいろ尋ねている。どうも、果物のなる樹木がお目当てのようだが、内容がよく分からないので、そばから離れてあたりを見物した。いろいろな植物や樹木があって、おもしろい。ジャカルタの人はよほど庭つくりが好きなのだろう。東京にも時々植木市が催しとして出るが、こんなに広い場所に常時設置されている市場はみたことはない。これは植物園だ。
お目当ての植木を買うと、その植木屋さんを車に乗せて別のところへいくようだ。ついてみると、そこは植木屋さんの家、というより植木農園。いろいろな植物を育てる畑がある。家屋の周りは、立派な樹木で覆われている。サンバス先生と植木屋はそのうちのひとつの樹をみて、また熱心に話しをしている。買い求めた植木が大きくなったらどうなるのかを見にきたのだった。買った苗木はこの樹から空中取木で作ったものらしい。




サンバス先生の家にもどると、1時間もしないうちに買った植木が新しい鉢に入れられ、庭に仲間入りしていた。果物のなる樹がまた増えている。
アブ先生が帰り「今日もここで泊まりです。これから奥様の経営するレストランへ行って食事です。」とのこと。いってみると、豪華なレストランで、客がにぎわっている。奥様に言わせると、まだ借金をかえしているだけだそうだ。
テーブルの席に着くと、隣に日本人と韓国人の混合グループがいた。インドネシア語とハングル語と日本語が行ったり来たりしていておもしろい。奥様が「日本人と韓国人はナシゴレンとミーゴレンを良く注文します、ほとんどの人は普通のインドネシア料理を食べることはない」。どうしたことか?隣をみてみると、その通りでお決まりのナシゴレンとミーゴレンが行儀よく並んでいた。そしてこちらのテーブルには、インドネシア料理がたくさん並んだ。今日も食事が美味しい。どんどん太っていく。
2002年11月28日(木)
熱帯植物の階層構造/Stratum on tropical plants

今朝の超早朝の食事にはサンバス先生も食べていた。検査は昨日だけで、今朝は普通の食事のようだ。「私は、病気だから肉は取れない、野菜だけだ、キタイはこれも、これもたべなさい」と皿をどんどん回してくださる。いわれるままに食べていると、食べすぎで死んでしまうかもしれない。今日こそ昼抜きにしよう。
「朝起きたら、プールサイドでディスカッションしよう」といわれ、再び寝て、起きて庭でまつことにした。サンバス先生が庭に出てくると、アブ先生が呼ばれ、それにくっついていきプールサイドのテーブルについた。いろいろな話が始まったが、インドネシア語ばかりなので、ただそこに座っているだけ。結論として、サンバス先生は「インドネシアには様々なアグロフォレストリーがあるが、伝統的なものは、xxとxxの2箇所しかない」とのことだった。xxとxxのうちひとつはアブ先生がかかわったものらしく、非常に?、異常に?、喜んで興奮していた。「帰る前にかならず見ていきなさい、できるかな?」と言うサンバス先生に「私が連れていって一緒にみせてきます」とアブ先生。ずいぶんと緊張した話になっていった。
「庭の植物を見ていきなさい。アグロフォレストリーで使えるものを集めた植物だ。」とのこと。なるほど、昨日植木屋で買っていた樹もそのコレクションだったのか。アブ先生と二人で植物を見ながら、これは血圧に効く植物、これは果物、これは主食にもなるなど、いっぺんにいろいろ教えられるが、実際には覚えることなど不可能で、これはまず図鑑が必要だと痛感した。とりあえず名前も何もわからないが、自家製図鑑のためにデジカメをとりだした。
















最後にサンバス先生が「最も大切なのはstratum だ」とアブ先生に檄を飛ばしていた。もちろんこれは私への言葉だ。アグロフォレストリーの設計に最も大切なのは、階層構造で、これはまさしく生態学だ。
階層構造という文字を頭に焼きこまれ、御礼を申し上げて、サンバス先生宅をあとにした。
ジャカルタ市街/Jakarta city
サンバス先生への挨拶も終わったし、ジャカルタでするべきことは無くなったが、飛行機は正月前の満席続きで、切符を変更するのは不可能とのこと。30日まで、ジャカルタを見物しましょうというのがアブ先生の意見。
妹さんのところへ戻って、荷物をピックアップしてジャカルタ中心部のホテルへ。ホテルに着くと、アブ先生は「床屋と正月の買い物に出かけたいが一緒に行きますか」。床屋はまだいいし、正直、そろそろ一人になりたかったので「ひとりでホテルに残ります、いってらっしゃい」。しかし、アブ先生の正月用の買い物はとてつもなくたくさんありそうだ。
ジャカルタへ来て初めて一人の時間ができた。寝たほうがいいのかなと思いつつも心はうきうき気分。「このホテルには美味しいアラビアのコーヒーがありますよ」とアブ先生が言い残していったので、タバコを買って、レストランに入った。
「I like a coffee」と注文すると、「コピ?、カフェ?、ネスカフェ?」とたて続きに3つの選択肢が現れた。一瞬戸惑ったが、考えも無く反射的に「カフェ」といってしまった。言ってしまったあと、コピは例のインドネシアのもの、ネスカフェはインスタントコーヒーのことだろうから、カフェの選択でいいのだろうと考えたが、メニューを見つけてみてみると、ネスカフェが一番高い。どうなることやら。
美味しいコーヒーを期待しながら待っていると、巨大なコーヒーポットと大量のミルクと大量の砂糖が別々に出てきた。4人前はありそうだ。しかし、香りもなにもない。何だコピとかわらないなと半分がっかりしながら、何も加えずに口にしてみると、結構美味しい。日本で飲むコーヒーに近い。アブ先生の言っていた通りだった。
つかの間の幸せ気分でゆっくりしていると、ふと学校から持ってきた仕事を思い出した。このコーヒーを全部飲み終わるまでにはたっぷり時間がある。席をキープして、必要なものを部屋に取りに戻って、仕事をし始めた。仕事がやっと終わるころに、ちょうどアブ先生がたくさんの買い物袋を持って戻り、コーヒーも飲み終わった。
「今晩のブカはデイシティンバーという会社に行きます、私の会社です」。なんでもアブ先生は大学の先生とは別に、その会社のサマリンダブランチのヘッドとしての仕事も持っているそうだ。アブ先生が計画した私の行動のなかに、会社の施設「ケムサイト」を利用するプランが含まれているので、挨拶がてら、会社のブカパーティーに行こうということだった。
「その前に、FAXを日本の大先生に出したいので、これをフロントにたのんでください」とさっきできた仕事を示すと、「ホテルは高いからだめ、会社の近くで出しましょう」「会社の近く?」「そう、近く」「会社でなくて?」「電話屋さん」「電話屋????????」「とにかく行きましょう」「?????????」。
とにかく出かけてみると、確かに電話屋があり、FAXもそこにある。とりあえずFAXを頼んでもらって、店の様子を観察すると、豪華な椅子つきの電話ボックスが店の中にあって、電話する人はこの中で電話している。店のカウンターで、テレホンカードを買ってこのボックスに入るようだ。それはそうだな、この熱いなか、外に電話ボックスがあったら大変だ。
アブ先生の会社につくと直ぐチェアマンの部屋に通され、いろいろな人に握手を求められた。部屋ではミーティング中だったようだが、こんなところへ入ってきていいのだろうか?チェアマンの豪華な机が中心にあり、それを囲んで壁際に7,8人の人が座り、きびしそうな話をしている。私はその真ん中あたりに座らされてただ黙って行儀良くしているだけ。「顔を見せているだけですから、座っていてください」とアブ先生。しかし、厳しそうな話の中で、アブ先生も冷や汗をかいている様子。「大丈夫なのかな?」。
厳しそうなミーティングが終わるとみんなにこにこし始めて、口々に「ブカ」「ブカ」といい、チェアマンが私を誘導した。夕食のようだ。「どうぞ、どうぞ」と日本語で食事を勧めてくれるひともいれば、英語で話しかけてくれる人もいる。もちろんインドネシア語でも。会社の従業員全員がこのブカパーティーにいるらしい。総勢40~50人ぐらいだろうか。たくさんの人に食事を勧められ、また食べすぎだ。
ブカが終わると、集会場のような外の広場に全員で座り、お祈り、チェアマンがコーランを読み始めた。この間は待っているしかない。会社のデスクに座らされて、待つように言われた。しかし長かった。コーランだけではなく、説法のような話が延々と外から聞こえてきた。
すべてが終わったのは9時ごろ。ホテルに着いたらただ寝たかったが、アブ先生と部屋が一緒なので、しばらく四方山話。しかし、アブ先生のこの買い物の荷物、いったいどうやってサマリンダへ運ぶのだろう?
ジャカルタをあとに/Leaving Jakarta
平成14年11月29日(金)
ホテルにとまってもラマダンはラマダン。朝3時に起きる。
今までは出かけるたびに運転手さんが来てくれたが、もう約束の日は過ぎたようで、昨日あたりからタクシーを使っている。今日はインドネシアのミニバスに乗ってみる。それにしても、町を歩くのは大変。車が行きかう中、歩行者はどこでも横断している。ミニバスに乗る前にこの横断が難関だ。ミニバスといっても、日本の軽自動車のバンくらいの大きさで、それに10人ぐらいは乗る。行き先別に番号がついているようだ。アブ先生はどの番号に乗ればよいか周りの人に聞いている。


もう一泊このホテルに泊まらねばならない。「今日もまだ買い物があります」「まだ買うの?」「まだ、まだ、正月ですから」。今日は買い物に付き合うついでに本屋に行くことにした。それから、日本で買ってきた携帯電話の通話料金がべらぼうに高いことに気づいたので、安く済ませる方法を電話機売り場で尋ねてみたいとお願いした。
まず本屋にいってみて図鑑を探したが、あまりいいのがない。アブ先生は「それよりまずこれでしょ」と辞書コーナーへ連れて行かれて、インドネシア語の辞書を買わされた。「そりゃそうか」……アブ先生はアブ先生で、なにか探し始めたので、ほかに何か買うものはないかと探したら、アグロフォレストリーのことが書いてあるらしい本を見つけたのでそれを買った。
次はデパートのようなところへ行って、電話機売り場で、いろいろ尋ねてもらったが、どうやらサマリンダにいってから、電話機に入れてあるSIMカードを、現地で買い替えたほうが良いとのことだった。アブ先生は「娘の服を買いたい」といって、婦人服売り場でいろいろあさり出した。「分からないね…」といいながら楽しそうではあった。
「今日のブカは妹の家です」と夕食のため妹さんのお宅へもどる際、今度は3輪タクシーにのった。3輪バイクに屋根がついて後ろが座席になっている。大人は2人しかのれない。乗るときに行き先と値段を交渉して乗るようだ。私が一人で乗るのはむずかしい乗り物だ。ミニバスも3輪タクシーも本当の名前を教えてもらったが、忘れた。
とりあえずジャカルタ最後の夕食は妹さんの家になった。またまた美味しい食事を済ませて、お別れの挨拶とお礼を言って、ホテルに戻った。このとき、アブ先生は妹さん宅のお手伝いをしている若者をつれてきた。どうするのかと思ったら、ダンボールをもってこさせてきて、正月のお土産の梱包をし始めた。結局ダンボールは3箱できあがった。
明日は、私のトランクケースもあって、大変な引越しだ。やっとサマリンダに向かう。