Wanderer kitaikunio
Singapore 20030420
シンガポールハブ空港/
Singapore hub airport
2003年4月20日(日)
パースからSARS騒動中のシンガポールへ/
To Singapore under SARS disturbance from Parth












朝6:00飯も食わずタクシーを呼んでもらって、空港へ。直ぐにチェックイン。この重い荷物をシンガポールでピックアップすることなく、バリクパパンまで運んでもらいたいと頼んでみたものの、コンピューターを操作するカウンターの女の人の顔が曇る。どうしたのか聞くと、シンガポールエアーの分は問題ないが、シンガポールからバリクパパンへのSILKAIRの分に名前が無いという。リコンフォームをしたかと尋ねられてしまった。もちろんしていない。昨日必要ないと言われた。まてよ、SINGAPOREAIRは必要なくても、SILKAIRは必要ということか?聞いてみると、そうだという。今からできるかと聞くと、ここではできない、シンガポールでしてくれ。だそうだ。SINGAPOREAIRとSILKAIRは同系の会社と聞いていたのに連携が悪いな。結局リコンフォームなんて、どこからもできないということではないか。それにこの重い荷物、シンガポールまでぶら下げていかなければいけない。大変だ。朝から疲れた。
SARS騒ぎがこの旅行中に起きていて、シンガポールの市内へは行きたくなかった。できれば空港内のトランジットホテルに泊まりたかった。全て希望は打ち砕かれた。 気を取り直して、8:30発シンガポール行きに乗る。テレビで見たようにマスクをしている人はいない。それより、人が乗っていない。乗客は30%ぐらいのものだろう。自分の席の隣2席は開いている。これもSARSのせいだろう。マスクをしなければと思う人は乗らなかったということかもしれない。シンガポール到着13:40まで長いフライトだった。成田―バリ間に匹敵する。座席設備が良いので各席備え付けのテレビで映画とテレビ番組を3本も見てしまった。日本語の番組もあった。
シンガポール空港のイミグレーションもカスタムチェックも全く緩い。時間のかかることは全く無く、ただただ重い荷物をカートに載せてホールにでた。そういえば誰もマスクをしていない。テレビで見た様子とは違う。それより人がいない。行くときに感じた雑踏は、その気配すらない。空港が閑散としていて、ばかでっかい空港が寂れて見える。
とにかく直ぐSILKAIRのカウンターを探して、リコンフォームを実行。またもリコンフォームは必要ないといわれた。そんなばかな。パースで搭乗予定機に名前が無いと言われたのだと言うと。調べてくれた。なんとSKILAIRに乗る私の名前はKIPAIだった。名前が無いわけだ。これがわかっていれば、こんな重い荷物をピックアップすることも無く、身軽にトランジットホテルでのんびりできたのに。なにもかもうまくいかない…いまさら仕方ない。
泊まれるホテルを探しに案内所へ。ここのおばさん「にほんきれい」とか「いくら」とか「高い」「安い」とか日本語をいうが、つられて日本語で話しても交渉にも会話にもならない。英語で頼んで、SG$10を払って、空港近くの市外のホテルに決めた。
ホテルにはミニバーも無く、売店も無く、隣にスーパーがあったので、お菓子とビールとタバコを買って、部屋でひと寝入りした。
ここはテレビチャンネルがたくさんある。インドネシアのテレビも見ることができる。やはりSARS騒ぎを盛んに報道していて、みんなマスクをしている姿が映し出される。
インドネシアの報道はシンガポール、マレーシア、CNN、BBCの報道に比べると、特に敏感なようだ。これはちょっと、下宿の子供たちのことも考えると、直接帰らないほうがよいかも。感染していないまでも、潜伏期間ぐらいは下宿の外で様子を見たほうがみんなの心配を避けられそうだ。
そう思って、アブ先生に報告の電話をいれるが、繋がらず、代わりに院生アリに電話して、明日戻るが下宿には帰らず暫くホテルに泊まりたいとアブ先生に伝えるよう頼んだ。
2003年4月21日(月)
SARS騒動中のシンガポールからBalikpapanへ帰還/
Return to Balikpapan from Singapore under SARS disturbance
ホテルでのんびり過ごして、11:00にホテルの便で空港へ、13:50のバリクパパン行きに乗る。 16:10バリクパパン着。驚いたことに空港関係者は全員立派なマスクをしていた。さながら防毒マスクのようだ。こころもち、イミグレーションの係員もカスタムチェックの係員も降機客から顔を遠ざけているように見える。普段なら、顔を覗き込むように近づいてくるポーターも距離を置いて話しかけてくる。これは大変な神経の使いようだ。そのせいか、イミグレーションもカスタムもフリーパス状態だった。
迎えに来てくれたのは、アブ先生とイブ、パルディさん。体はどうと聞かれ、なんとも無いと答えると、さっさとサマリンダへ向かい、ホテルメスラに入った。トゥングル宅には事情をアブ先生から説明してもらったそうだ。暫くホテルにいるのが一番いいとアブ先生がいった。病気でもないのに既に病人扱いのようだった。
